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【浪江原発訴訟】奪われたふるさと、壊された地域コミュニティ 男性原告が意見陳述「国は自らの責任を認め、東電とともに賠償責任を果たせ」~福島地裁で第6回口頭弁論

福島県双葉郡浪江町の町民が申し立てた集団ADRでの和解案(慰謝料一律増額)を東京電力が6回にわたって拒否し続けた問題で、浪江町民が国や東電を相手取って起こした「浪江原発訴訟」の第6回口頭弁論が12月16日午後、福島地裁203号法廷(遠藤東路裁判長)で行われた。男性原告が原発避難での苦労や奪われたものの大きさについて意見陳述。代理人弁護士は、原告たちが抱く放射線被曝への不安が合理的であると主張した。次回弁論期日は2021年3月16日14時。遠藤裁判長の異動に伴い、新しい裁判体での審理が始まる可能性があるという。
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【「6代続いた農業終わり」】
 先祖代々、農業を続けて来て6代目。1・2ヘクタールの畑に2・7ヘクタールの田んぼ
 「江戸時代末期に浪江に移住した先祖はコツコツと農地を切り開きましたが、原発事故により、子どもたちへ7代、8代と続ける事が出来なくなりました。農業も、浪江での生活も、私の代で終わりになるでしょう」
 法廷のど真ん中で、林良治さん=浪江町藤橋から福島市に避難中=は、そう言って意見陳述を始めた。
 何も持たずに向かった津島。そこには多くの町民が集まっていた。どこも車がいっぱいで停められない。ようやく入った県立浪江高校津島分校の体育館も人であふれていた。自分と妻と両親の4人が落ち着けるスペースなど無かった。やむなく車中泊。「炊き出しでいただいた1個のおにぎりを父母に半分ずつ分けてたべさせるのがやっとでした」。
 すぐに浪江に戻れるだろうと思いつつ、福島市で暮らす長男のアパートに移動。その後、両親は祭頭圏内の姉の家に、自身は妻と神奈川県横須賀市の弟宅に身を寄せた。
 「弟のところに避難したものの周りの人たちは普通に会社に通勤し、子どもたちは学校に通学していました。福島に住んでいた私たちだけ何か別世界から来たような感じがしました。取り残されたような感じがしました。福島に戻りたいという気持ちが強くなっていきました」
 2011年3月末、町役場の紹介で福島県二本松市の「あだたら体育館」に移った。「福島」に戻る事が出来たものの、生活空間はわずか1畳。「これから先の避難場所はいつ決まるのだろう、自分たちはこれからどこに行くのだろう」と冷たい布団の上で考えていたという。
 その後、猪苗代のペンションに移動し、ようやく両親と合流して4人暮らしが再開出来た。〝漂流〟がひと段落した時、既に震災・原発事故から3カ月が経過していた。

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法廷で意見陳述した林良治さん。「農業も、浪江での生活も、私の代で終わりになるでしょう」と述べた

【避難で認知症進んだ父】
 原発事故による強制避難は、様々な事を奪い取った。
 野菜作りと散歩が趣味だった80代の父親は、避難先で家からほとんど出ない生活になってしまった。「3カ月ぶりに会ったら心身ともに急激に衰えていました」。ある夜には、部屋の片隅で荷物をまとめ始めた。「浪江に帰るんだ」と父。「まだ戻れないよ」と伝えても一心不乱に続けている。医師から認知症との診断が下った。規模の大きな病院にも通ったが症状は悪化するばかり。震災・原発事故から4年近くが経った2015年1月、福島県矢吹町の施設で86歳で息を引き取った。
 「ふるさと浪江に帰る事をどれだけ夢見ていたか…。来年は7回忌なので浪江での法要を検討していますが、実現出来るかは分かりません」
 住み慣れた浪江町藤橋地区(福島第一原発から北北西に約10km)は「避難指示解除準備区域」に指定され、2017年3月末に避難指示が解除された。地区内の消防屯所に設置されたモニタリングポストの数値そのものは0・11μSv/hにまで下がったが、避難指示解除を受けて自宅に戻ったのはわずか6戸。震災・原発事故前は97戸の集落だったから、いかに地域のコミュニティが破壊されてしまったかが分かる。
 「以前のような集落の絆も元に戻らないでしょう。隣組も全国各地に散ってしまいました。お墓を移動した人もいます。人と人のつながりが無くなってしまい、心も体も疲れました。原発事故で失われた10年の何十倍もかけなければ地域の復活などあり得ません」
 町内では家屋解体が進んでいるが、複雑な想いが入り混じっているという。
 「私の自宅は何とか住める状態ではありますが、周囲はさら地が増えました。自分だけ戻っても生活出来ないのではないかという想いがある一方で、いつか元に戻れるのではないかという期待もあります。だから自宅は解体していません」

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閉廷後の集会で「来年は原告一人一人の被害の立証に入る。感染症の問題があるので東京から出向くのは直接話をするのは難しいが、電話や手紙などを活用して陳述書作成を進めたい」と語った日置雅晴弁護団長=福島市市民会館

【「被曝への不安は合理的」】
 林さんは次のような言葉で意見陳述を締めくくった。
 「当時の双葉郡の住民は原子力に対して無知で、(交付金という)美味しそうな餌に釣り上げられました。しかし、今は『原子力は安心・安全では無い』事を学びました。国は今までの原子力事業に対する対応を反省し、自らの責任を認め、東電とともに賠償責任を果たしてください」
 法廷では、原告代理人の川村恵一郎弁護士も意見陳述。第18準備書面を軸に、原告たちが放射線被曝に対して抱いている不安や恐怖が合理的である事、被曝不安によって法的保護に値する権利が侵害されている事を主張した。
 浪江町が2013年5月に行ったアンケート調査(有効回答数9384)では、6809人が「放射能が見えない恐怖について強い不安がある」と答え、5535人が「低線量被曝による影響について強い不安がある」と回答している。
 自由記載欄にも「放射能を浴びたから何年か後にはガンで死ぬんじゃないか」(30代女性)、「体内に入ってしまった放射性セシウムがまだ中にいる事の不安がつきまとう。誰にも分かってもらえない」(40代女性)、「お腹にいた子どもへの放射能の不安」(20代女性)、「子どもの頭痛や吐き気、単なる風邪さえも心配になる」(30代女性)など、放射線被曝への強い不安を訴える記述があった。川村弁護士は「『不安』の内容はそれぞれの生活環境や属性に応じて多岐にわたるが、それは当然の事であり、むしろ生々しい被害者の声と言わざるを得ない」と主張。
 心理学や精神医学、公衆衛生学の観点から「放射線災害は、他のリスクと比較して恐怖感や不安感をより強く生じさせやすい。原告たちが強度の恐怖感や不安感を抱く事は合理的」と指摘した上で「原告たちの不安は解消した」などとする被告らの主張を「理由が無い」と批判した。
 次回弁論期日は2021年3月16日。2018年11月27日に提訴し、2019年5月20日に第1回口頭弁論が行われた裁判は3年目に入る。来年は原告一人一人の個別の被害を立証する準備を進め、早ければ再来年にも原告本人尋問が始まる見通し。



(了)
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鈴木博喜

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