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【119カ月目の福島はいま】避難指示区域外でも続く孫の健康への不安、奪われた山の幸、拭えぬ不信感…絵手紙にこめられた「10年では終わらぬ原発事故」

政府の避難指示が出されなかった地域に暮らしている人々からも平穏な暮らしを奪った原発事故。1月中旬、郡山市内で開かれた「うつくしま絵手紙の会」の年賀状展「震災から10年、ここで生きています」では、いまだ終わらぬ原発事故被害への様々な想いであふれていた。会を主宰する安達アツ子さんは「絵手紙は相手を思い書く一枚ですが、心の奥に潜んで口に出すのは苦手な人も自分と向き合う事で墨が表してくれることもある」と綴った。不安はあるが、それでもここで生きていくしか無いという複雑な感情も。絵手紙のごく一部を紹介したい(誤字なども含めて原文ママ)。
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【「目に見えない存在は恐い」】
 原発事故と放射性物質の拡散が奪ったのは孫との平穏な日々であり、山の幸だ。

 「十年前、原発事故の起こった時一番に思ったことは、孫達を避難させなければと思い、嫁さんの実家に頼みました。二ヶ月後私達はここで生活することにしたと帰って来たので、半壊になった家を二世帯住宅に立て替えました。その時の孫も中学生と小学生になりました。甲状腺ガンが常に心配の種になっています。この孫達の成長が私達の元気の素になっています。あの時、郡山に避難して来た多くの人にお会いしました。毎日毎日困ったことはありませんかと避難所を訪ねた日を忘れることはないでしょう。忘れてはいけないのですね

 「震災の十日前に生まれた貴女。あれから十年かぁ。直後はここにいることが正しいのか皆が迷いました。一緒にこの土地で過ごしてきた日々、今は良かったと思えます。五十年後はどうかわかりませんが、間違いなく私はいません。どうかその時にも選択が間違ってはいなかったとなっているといいな

 「きょうも又、朝が来た。毎日何気ない日常を繰り返していると、つい忘れそうになってしまう。あれから十年になるのか…。今になって思うと、あの時避難した方が良かったのかさえわからなくなる。しかし、放射能という目に見えない存在は恐い!そして不気味だ。特に『食』に関しては。自然の恵みの代表の様なきのこは未だにセシウムの数値が高いと言う。我庭の梅の実、手をつけずに居たが、去年ようやくもいで専門機関に持ち込み数値を計ってから漬け込んでみた。まだ試食はしていない。ドキドキする。この先も色々な事にアンテナ張り乍ら(ながら)、特に『食』には気をつけて、この地で生きて行こう

 「先日、近所から大きなマツタケ一本頂きました。うれしくて鼻先でクンクン香りをかぎましたが、残念ながらセシウム値が高くて食べられません。モニタリングの計器を横目に散歩をしますが、子どもの姿が少なくてさみしいです。高齢者の多い集落に生協の移動車が日用品を積んで週一度来てくれます。これからも友人や近所の人達に支えられて川俣で生きていきます

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原発事故によって生じた被曝リスクや恐怖心に避難指示の有無など関係ない。山の幸も奪われた

【不気味なフレコンバッグ】
 生活空間に仮置きされた汚染土壌(除染土壌)にも心を痛める日々。

 「いまだに震災の痕跡が残っています。近くの公園には除染された汚土が各家庭の庭に埋めたのを掘り出し、その土が公園に移動しただけ。その回りでは子供が遊んでいる。異様な光景です。解体された家の後は更地になり、家主のいない家の回りは荒れ果ててしまい、原発がなかったらこんなはずではなかったの思いでいます。それでもここに住む私がいる。不安はまだまだ

 「やっと庭に埋めた汚染土は掘りおこされ仮置場へ運ばれました。地震の毎に即玄関の戸を開けます。ドキドキです。原子炉が爆発したら大変です。屋根、道、お墓も復旧しましたが、まだきのこが採れません。食べれません。淋しいです。孫の代になったら解決されるのか。今後大地震がおきませんように。早く原子炉工事が進みますように祈るばかりです

 「近郊の山裾に黒い袋。フレコンバッグが山積になっている。近くを通る時、車の窓を閉めながら不気味さを感じます。ひとりひとりの思いは違うでしょう。まだ震災は終わっていない。二〇一一年三月十一日の体験から、これから来るであろう震災と災害に備えて人とのつながりと思いやりを大切にしていきたいと思います

 「庭に除線された土が埋められたままで十年が経ちました。近々除去しますと通知がありましたが、長い間のうちに標の杭もどこかなと探すようです。原発のこと、日々の暮らしの中で忘れていることが多いのですが、この除去された土が黒い大きなかたまりになり、どこへ置かれるのだろう。見納めは出来ないけれど、ここで生活し続ける限り、関心を持ち続けたいです

 「あの時10才だった孫は今年、成人式を迎えます。小学校の庭に積まれた除染土の山を見て、爆発しないの?等と恐がっていた孫が覚えていたのは土の山だけで、後の事は忘れてしまいました。忘れてしまう位、その後の生活が安定していたのだと思いホッとしました。あれから十年。ここで生きて抱いていた不安感は小さくなってきたとは思いますが、原発事故のその後に対する不信感は全く消えません

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ようやく掘り出された汚染土壌、それでも続く不安、そして汚染水問題…。10年経っても震災・原発事故は終わっていない=郡山駅前の「ビッグアイ」

【「汚染水で海汚さないで」】
 避難指示区域や国が海洋放出を狙っている「原発汚染水」について綴った人もいる。

 「トリチウムを含んだ処理水がズーっと増え続けている。画面を通してタンク置場の異様な光景です。この先どうなって行くのでしょうか。不安です。恐ろしいです。結局、時間切れでまたまた見切り発信で海への放流となってしまうのでしょうか。タンクも早く設置したものは補修しながら使っているとの声も聞く。僅か四十年の恩恵を受けましたが、その代償は計り知れません。こんな中でも私の居場所はここです。これから先も…

 「あれから十年、福島の復興はまだ道半ばです。最近ではタンクの汚染水を海に放出しようとしています。海に育った私は父の姿から海や魚に対する思いを知っているだけに海を汚さないでと心が痛みます。何か良い解決法は無いのでしょうか。福島はまだまだこれからも大変です

 「帰宅困難区域の実家に通じる道はバリケードによって今だに入ることができない。あれから十年も経つのに、そこから約六〇キロ離れた所に住んでいる。今、震災の影響を受けているのかと聞かれると…わからない。わかることは、ここで生きているということ。これからも生きていく。ニュースはコロナに変わり、震災は影が薄くなっていると感じる

 「富岡は原発の影響で避難せざるを得ない状態でした。母と兄夫婦、そして愛犬は避難場所を点々としてやっと東京の地へ落ち着きました。安住の地ができ安心しましたが、心の安らぎは今でもないように思います。私はこれからも見守ることしかできません。これからは周囲の人や物に感謝を忘れず生きていきたいと思います

 こんな絵手紙もあった。

 「私のいるところは、ここしかありません。線量が少しくらい高くても、子供にとって大切な古里。汚染度はすぐとなりに高濃度ありながら庭に埋められ長い間ありました。十年はアッという間と思いました。夫も急速に歳をとり、震災後生まれた孫は七才。一年生になります。これからも絵手紙を描くことが私の皆とつながって行けることと強く思う今です。二人で歳に合った人生を送りたいです

 「あっという間の十年でした。今だに山菜や蜂蜜等は放射線量が高く食べられない物もあります。でも、やっぱり生まれ育ったこの土地の空気や吹く風の匂い、真青な広い空、聞き慣れた土地の言葉に囲まれて暮らした十年は、とても豊かな毎日でした。この先もずっとここで心穏やかに暮らしていけるといいなあと思っています




(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
(メールは hirokix39@gmail.com まで)
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