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【ふるさとを返せ 津島原発訴訟】裁判官ももらい泣きした2人の母の意見陳述。「失ったものを償って欲しい」~第3回口頭弁論

原発事故による全町避難中の福島県浪江町。その中でも、特に放射能汚染の酷い津島地区の住民たちが国や東電に原状回復と完全賠償を求める「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の第3回口頭弁論が23日午後、福島地裁郡山支部で開かれた。息子に被曝を強い、息子から平和な日々を奪った原発事故。2人の母親の涙ながらの意見陳述に裁判官ももらい泣きした。「俺たちが何か悪い事でもしたのか」。原告たちはビラ配りやデモ行進で怒りを口にする。〝安全神話〟に覆われてきた原発。ひとたび事故を起こせば、か弱い民に鋭い牙を剥く。これが原発の現実だ。次回期日は11月25日14時。


【被曝させられた息子。募る悔しさ】
 間取り1Kのアパートに5人。窪田幸恵さん(36)の避難生活は、狭さとの闘いから始まった。
 2011年3月14日の午後に避難を開始。1週間ほど埼玉県内の親戚宅に身を寄せたが肩身が狭く、気を遣った。福島県福島市内で借りたアパートがワンルーム。そこに両親と妹、そして当時10歳の息子と共に入った。兼業農家として、津島の肥沃な大地に囲まれていた生活が一変。当然ながら寝返りも打てない。ストレスは極限に達し、口数の減った息子は、段ボール箱を利用した〝自分の部屋〟を部屋の隅に作った。「つらい思いをさせてごめんね」。悪いのは原発事故だった。別のアパートに転居するまで、100日ほど厳しい生活が続いた。
 一方で、自身も職場でのパワハラに悩まされていた。福島市内の職場では、浜通りからの避難者ということで上司から大声で怒鳴られるなど露骨にいじめられた。異動願いが受け入れられ、福島市の女性が上司の部下になると、態度は一変して優しくなった。狭い〝わが家〟で何度も泣いた。「でも、いじめに遭ったのが息子でなく私で良かったと思います」。震災前に離婚。息子は自分が守るんだと必死に生きてきた。
 息子に無用な被曝をさせてしまったという後悔が消えない。甲状腺検査の結果は、自身も息子もA2判定。見つかったのう胞がガン化しないか不安な日々が続いている。原発事故当時、情報は町民に伝わって来なかった。県の原子力センターで働いていた経験から、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の存在は知っていた。ニュースでは原発の水素爆発を伝えている。しかし、避難すべき状況なのか、何も分からなかった。津島にある役場の支所に電話で問い合わせた。町職員から返ってきた言葉が、逆に事態の深刻さを表していた。「自分たちの判断で逃げてください」。町民の避難所となっていた津島地区こそ、実は高濃度に汚染されていたということを知ったのは、後になってからだった。悔やんでも悔やみきれない初期被曝。「国も東電も、あのとき速やかに情報を開示してくれていたらこのような事にはならなかった。悔しい思いでいっぱいです」。
 「原発事故の責任を認め、私たちが失ったものを償って欲しい」。窪田さんは被告代理人席を向き、きっぱりと言った。津島では大地に感謝し、収穫の喜びを家族で分かち合った。幸せな日々は戻らない。そして裁判官には、こう言って頭を下げた。「子どもたちが受けた苦痛や心の痛みを二度と、将来の子どもたちに与えることの無いように、賢明なご判断を」。
 窪田さんの顔をじっと見つめながら聴き入っていた裁判長は、軽くうなずいた。




郡山駅前で、原告の女性はあふれる涙をハンカチで拭った。「私たちはお金では買えないものを失ったんです」。放射能に激しく汚染され「帰還困難区域」に指定された浪江町・津島地区の住民たちは、原状回復と完全賠償を国や東電に強く求める。

【「金で買えないもの」奪われた】
 津島の人々の温かさ。夫や息子の夢。門馬和枝さん(49)は、それら「金では買えないもの」を奪われた哀しみを語った。
 地域の人々は、成長が遅い病気を抱えて生まれてきた長男を、地域の子どもとして育ててくれた。どこへ行っても「元気がい?」、「学校は楽しいがい?」と声をかけてくれた。「津島では、自分の子どもも他人の子どもも、みんな分け隔てなく『津島の子』であり、宝物なのです」。息子も敬老会や神社の祭りなど、地域の行事に積極的に参加しては、よさこい踊りやフラダンスを披露した。障害の有無など関係なかった。原発事故が起きるまでは。
 親類宅を経て福島県相馬市に移り住み、身長の低い長男は遠巻きに指を差されることもあったという。高校1年生となったが身長は130センチほど。しかし、津島ではハンディを感じさせるどころか人気者だった。徐々に積極性を失っていき、時折「また津島に帰りたい」と漏らすようになった。母として募る悔しさ。「原発事故がなければ、長男は好奇の目にさらされてつらい思いをすることがなかった」。津島には平和で穏やかな空間があった。意見陳述に添えられた写真では、地域の行事に参加した長男が満面の笑みを見せていた。
 夫は酪農家。家業に関心を持ち始めた次男と、いずれ一緒に仕事をする日を夢見ていたが、それも奪われてしまった。「帰還困難区域の人は日本の人口に比べれば限りなく少数です。少数者の声はいずれかき消され、忘れ去られてしまうのではないかと不安です」。原告団に加わったのは、津島の環境や生活を元に戻して欲しい、子どもの健康を将来にわたって保証して欲しいという思いからだ。「将来、健康被害が子どもたちに現れたとき、国と東電はきちんと責任をとって欲しい」。
 「少数者の哀しみ、怒り、苦しみをしっかりと受け止めて欲しい」。門馬さんは、あふれる涙で言葉に詰まりながら訴えた。「いつになるか分からないけど、思い出の詰まった自然豊かな津島に家族一緒に帰りたい」。弁護団は振り返った。「裁判官の1人はもらい泣きしていた」。




(上)口頭弁論に先立ち、原告たちは郡山駅前でビラを配った。「原発も要りません、放射能も要りません。1日も早く故郷を元通りにしていただきたい」
(下)福島地裁郡山支部の周囲をデモ行進する原告たち。「田んぼを返せ。畑を返せ。里山を返せ」と訴えた

【「ゼニ金の問題じゃない」】
 訴訟には261世帯、658人が賛同しており、2015年9月29日に提訴。この日の第4次提訴で原告は476人になった。来年5月にも全員の提訴が完了する予定で、国や東電に対し①2020年までに空間線量を0.23μSv/hに下げること(原状回復)②2021年まで毎月、1人35万円を支払うこと(完全賠償)─などを求めている。
 しかし、原告ら津島地区の住民が求めているのは金銭補償よりも原状回復だ。訴状では、原告のこんな言葉が紹介されている。「津島での元の生活に戻ることが出来るなら、ゼニなんか一銭も要りません。ゼニ金の問題じゃないのです」。口頭弁論に先立って行われたデモ行進でも、何度も「愛する故郷を返せ」と声をあげた。
 郡山駅前で行われたビラ配りでは、原告の1人が「私たちは何も悪いことをしておりません。1日も早く故郷を元通りにしていただきたい」と訴えた。「故郷を返してください。マツタケやキノコなどの山の幸を返してください」という言葉に、原告の女性は涙をこらえきれずハンカチで目を覆った。「自分の家の畳の上で死にたいと願いながら、仮設住宅や病院で亡くなった人もいるんです」。
 原告らは言う。「原発も要りません。放射能も要りません」。そして「津島を廃村にするのか? 棄民は許さないぞ」と怒りを表した。ある男性は「俺達だって、ビラ配りやデモ行進なんてやりたくねえよ。何で被害者がここまでやらなきゃなんねえんだ」とつぶやいた。被害者が闘わないとならない不条理。しかし、国や東電が原状回復など不可能と開き直り、賠償責任を否定している以上、声をあげ続けないわけにはいかない。
 次回期日は11月25日。国や東電への反論のほか、原発の危険性を示した動画を法廷で上映する予定という。



(了)
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プロフィール

鈴木博喜

Author:鈴木博喜
(メールは hirokix39@gmail.com まで)

大手メディアが無視する「汚染」、「被曝」、「避難」を追い続けています。

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