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【東日本大震災・原子力災害伝承館】本当は見せたくない?「原発PR看板」の屋外展示始まるも目立たぬ場所 標語考案した大沼さんも落胆

2015年12月に撤去されて以来〝お蔵入り〟になっていた原発PR看板「原子力明るい未来のエネルギー」の実物展示が24日、福島県双葉郡双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」(以下、伝承館)で始まった。だが、展示場所は建物の入り口や来館者の導線から一番遠い屋外。「砂ぼこり」を理由に扉は施錠されていて、来館者が直接見るには入り口まで戻り、建物沿いに歩かなければならない。原発事故の教訓や反省の材料として「伝承」する意思が本当にあるのか。標語を考案した大沼勇治さんも「最低限展示された、それだけ」と落胆している。
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【「劣化させるわけにいかぬ」】
 実物の看板が展示されているのは、建物前に広がる芝生から見て右端の屋外。左端が建物の入り口だから、来館者の目につきにくい、一番遠い場所に置かれた。隣には津波の力で大きく変形した双葉町消防団の消防車も一緒に展示されている。敷地近くで見つかったという。
 入り口の真反対での展示のため来館者の導線からは完全に外れており、順路に従って見学しても実物展示に気付かない可能性もある。気づいたとしても、展示されている看板の前の扉は「館内に砂ぼこりが入ってしまう」と施錠されていて、直接目にするためには再び入り口まで戻り、建物沿いに端から端まで歩く必要がある。しかも、芝生と建物の間にはなぜか石が敷き詰められていて歩きにくい。実際、車いす利用者が実物を近くで見るのを断念したケースもあったという。
 伝承館は昨年9月にオープンしたが、〝目玉〟となるはずの原発PR看板の実物は展示されず、昔の写真が館内に展示されていた。開館から半年経ってようやく実物展示が実現したが、果たしてこれで「展示」と言えるのか。原発事故の教訓や反省の材料として語り継ぐ意思があるのか。建物の前には広大な芝生があり、展示スペースには事欠かない。もっと来館者の目につきやすい場所での展示が出来たはずだ。だが、取材に応じた伝承館の小林孝副館長は「劣化防止」を強調した。
 「敷地内で屋根のある場所があそこだけなのです。長年、屋外にあったものなので大丈夫だとは思うのですが、大切な資料なので風雨に直接さらすわけにはいきません。私たちには『資料の保存』という仕事もあります。劣化させるわけにはいかない。そこで防錆加工をした上で屋外展示をしたのです」
 「室内での展示も検討しましたが、床が弱くて置けない。床下は空洞なのです。何パターン化考えて、『展示』と『保存』の妥協点という事であの場所になりました。文字は外せるので毎日、閉館後にしまっているんですよ。スタッフも大変です。それだけ気を遣っています。標語は全部で4種類あるので、例えば1、2週間ごとに順番に展示すれば劣化も4分の1で済むかなとも思っています」

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撤去から6年余ぶりに公の場に姿を見せた原発PR看板。だが、展示場所は伝承館入り口から真反対の場所で、館内からの行き来も不可。「展示物を近くでご覧になりたいお客様」は「恐れ入りますが、外からお回りください」と書かれている。これが「伝承」の現実だった=福島県双葉郡双葉町中野

【「見せたくないのでは無い」】
 「エントランスで展示したら良いですよね。床の強度の問題でそれが出来ない?だったら53億円もかけて何をやっていたのでしょうか」
 浜通りで被災した女性は、原発PR看板の屋外展示にこう語った。
 「あれだけ広い庭があるのだから、実際に避難者が暮らしていた仮設住宅を置いたら良いと思います。中も見学出来るようにしたら、いかに劣悪な住環境だったかが伝わると思います。あんなのは『住まい』ではありません。小屋です。隣室の声も物音も聞えるし、雨音も響きました。その隣にあの原発PR看板を展示して『原発がもたらした〝豊かな暮らし〟がこれですよ』と説明したら良いんです」
 原発PR看板の実物展示と併せて、館内でも「特別展示」が始まった。そこには「仮設住宅での暮らし」も盛り込まれたが、そこに置かれていたのは日本赤十字から避難者に寄贈されたテレビと炊飯器だった。説明文には「慣れない生活の中ではトラブルも多く起こりましたが、そうした中でも徐々にコミュニティができあがり、入居者相互が助け合ったり仮設住宅単位でのイベントが開催されたりしました」と記されている。ずれているのは看板の展示場所だけでは無かったのだ。
 伝承館を所管する福島県生涯学習課の本多智洋副課長に疑問をぶつけると、感じ方は人それぞれ。いろいろな受け止め方があると思います。ただ、見せたくないからあそこで展示しているという事ではありません。見せる必要があるから展示しているのです」と語気を強めた。「雨風をしのげる場所、というのが展示場所選定の一番の理由です」。
 「あの看板は実物なので、資料としての価値があります。当然、腐食を防ぐ加工をした上での屋外展示です。でも、陽射しや風雨が直接当たると良くないと聞いています。どうしても資料として残すという事になると、あそこがギリギリなのではないでしょうか。あれが精一杯なのです」
 広大な芝生を活用した展示に関しては「伝承館の敷地なので様々な活用法があるとは思いますが、今のところ何か展示物を置く予定はありません」と答えるにとどまった。

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〝原発マネー〟で設置された原発PR看板。原発事故でバリケードの向こうに押しやられ2015年12月、老朽化や倒壊の危険性を理由に双葉町が撤去した。現場保存を求めていた大沼さん夫妻は現場を訪れ、「撤去が復興?」、「過去は消せず」と抗議した。国道6号線から見て裏側には「原子力正しい理解で豊かなくらし」と書かれていた

【「最低限展示された、それだけ」】
 原発PR看板「原子力明るい未来のエネルギー」はJR常磐線・双葉駅と国道6号線と間、国道から見える場所に設置されていた。
 双葉北小学校6年生の時に宿題で標語を考えた大沼勇治さん(45)は「原発の安全性を信じていた時代もあったんだと伝えるには、写真では説得力がないんです。歴史の1ページとして形として残したい」と署名集めもして〝負の遺産〟としての現場保存を求めたが、双葉町は「錆び付いていて倒壊の危険がある」として解体・撤去を決定。2015年12月に撤去された。
 文字の部分(1文字90センチ四方)は福島県立博物館で保管されており、地元紙・福島民友編集局長やJAEA福島研究開発拠点副所長がメンバーとなった「資料選定検討委員会」でも「看板は伝承館で展示されるべき資料だと考える。是非検討して欲しい」(2019年11月29日菊地芳朗福島大学教授)との意見が出ていた。
 昨年7月の第6回検討委には、福島県生涯学習課が「原子力発電所と地域が共生していた事実を象徴する貴重な資料として、複数の手法で展示する方向で検討を進めている」とする補足資料も提出されていたが、待っていたのは来館者の目につきにくい、入り口から遠く離れた展示場所だった。
 「本当に最低限展示された、それだけです」
 大沼さんは取材に対し、そうコメントした。
 「隣の消防車に例えると、何だかハンドルとタイヤだけが展示されているような気分です。 東京の上野公園に西郷隆盛像が設置された時、除幕式で奥様のイトさんが『ごげな人じゃなか』と言って、周囲が困惑したそうです。きっとこういう光景なのだろうと私の想いと重なりました。 現場保存していれば、看板の震災遺構としての価値も高かったはずなのに…」
 大沼さんは看板の─でアパートを経営していた。震災・原発事故から3年後に自身で設置した看板には、次のような言葉が綴られている。
 「双葉の悲しい青空よ かつて町は原発と共に『明るい』未来を信じた 少年の頃の僕へ その未来は『明るい』を『破滅』に ああ、原発事故さえ無ければ…」
 大沼さんの想いを語り継ぐためにも、原発PR看板は目立つ場所で展示するべきだろう。



(了)
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プロフィール

鈴木博喜

Author:鈴木博喜
(メールは hirokix39@gmail.com まで)
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