【原発事故と司法】「裁判官って政権に忖度するんですか?」 大飯原発運転差し止めを命じた元裁判官・樋口英明さんの答えは…
- 2022/04/08
- 12:00
2011年3月の福島第一原発事故を巡る訴訟の判決が言い渡されるたびに口にされるのが「裁判官は政権に忖度している」という言葉だ。「低線量被曝のリスク」、「年1ミリシーベルト問題」という原発事故の本質に正面から向き合わない裁判官が少なくないからだ。そこで、3月に横浜市内で講演した元裁判官の樋口英明さん(関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた)に「裁判官も政権に忖度するのですか?」と質問してみた。樋口さんは忖度の存在は肯定しつつ、事件の本質を見極められない裁判官の存在を指摘した。それは忖度よりも厄介で深刻な問題だった。

【「判断に迷うから忖度する」】
「忖度する裁判官もいるでしょう。判断に迷うから忖度する。事件の本質が分からないから迷って忖度するのです」
樋口さんは「裁判官の忖度」を否定しなかった。そのうえで、自身については「忖度なんか全くない」と言い切った。
「少なくとも原発運転差止訴訟は本質論だけで解決できます。その場合、忖度が働くかどうかですが、私は福井地裁から名古屋家裁に異動しました。周囲からは『左遷だ』と言われました。『本来なら名古屋高裁に行くはずなのに、家裁に行ったから左遷だ』ということでした。しかし、そもそも私は出世コースに乗っていなかったのですよ。だから全然左遷ではありません。そういう意味で忖度が働くかというと働かない。では、仮に出世コースに乗っていて、最高裁入りも考えられる立場であったら、この判決をどうするか。間違いなく同じ結論です」
2014年5月21日、福井地裁の裁判長として関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決を言い渡した(名古屋高裁が2018年7月に取り消し)。
判決文には、こう書かれている。
「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」
「原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである」
樋口さんは当時、同期の弁護士から「歴史に残る判決を書きましたね」と言われたという。
「歴史に残りたくてあの判決を書いたのではありません。『歴史』を残したいのです。日本の歴史が途絶えるかも分からない。原発はそれだけの危険性を持っています。だから判断に迷いはありません。もし出世したいと考えていても、原発事故が起きたら最高裁自体がなくなるかもしれないですから。大げさではなく、わが国の歴史がかかっているのです」

「忖度する裁判官もいるでしょう。事件の本質が分からないから迷って忖度する」と語った樋口英明さん
【「雰囲気」と「同調圧力」】
講演後、改めて忖度の有無を尋ねると、樋口さんは「忖度でやっている人もいます。能力が足りない人もいる」とだけ答えた。話しているうちに、少しずつ分かってきたことがあった。「忖度しているのか否か」というよりも、裁判官の資質自体を樋口さんは問うているのではないかということだった。
ヒントは著書「私が原発を止めた理由」にあった。
著書のなかでは「裁判所全体が、原発推進という政権の意向に忖度しているわけではありません」、「裁判官は一部に言われているように、最高裁という伏魔殿のようなところから影の指令を受けて裁判をしているわけではありません。どの組織でもそうであるように、良心的に自分の本分を尽くしかつ能力も高い人もいるし、逆に、自分の本分が分かっていない人や良心的でない人、能力が低い人もいます」と政権への忖度を否定したうえで、次のように綴っている。
「裁判官には明確な圧力もしがらみもないのです。ただ雰囲気があるだけです。その雰囲気に敏感な裁判官はそれを圧力と感じるでしょうが、鈍感になりさえすれば全く何の圧力もしがらみもないのです」
「裁判官は裁判内容について誰からも指示や明確な圧力を受けることはありません。いわゆる同調圧力があるだけです。先例主義がまん延してくると、その同調圧力に拍車がかかります」
「そのような地位を裁判官は憲法によって保障されているのです。そして、現在の裁判所はまがりなりにも裁判官の独立を侵害しないようにしているのです」
「政権や最高裁の意向を忖度したり、圧力に屈して原発の危険性を知りながら原発を止めない裁判官と、規制委員会の判断を尊重することが正しいと思って原発の危険性に気づかないまま原発を止めない裁判官のどちらが怖いでしょうか。どちらも劣らないくらい怖いことなのです」
1カ所だけ、為政者と司法の関係について言及した箇所がある。
「最高裁が推薦した法律家を内閣が任命するという慣例が安倍政権下で破られ、最高裁の中にはそれに強く抗議するほどの人物もいなかったためか、政権に近い法律家が最高裁裁判官に任命されるということになってしまいました」
そして、読者にこう呼びかけている。
「ときには健全な怒りを示してください」

「福島原発かながわ訴訟」の原告団長・村田弘さんは「裁判所は訴訟の本質である『被曝問題』にほとんど目を向けない」と指摘した=神奈川県横浜市の「スペースオルタ」
【「原告は裁判官を選べない」】
この日、樋口さんは「事件の本質」という言葉を何度も口にした。
「福島原発かながわ訴訟」原告団長の村田弘さん(福島県南相馬市小高区からの避難を継続中)が「私たちも他の原発訴訟も『年1ミリシーベルト問題』や『被曝による健康リスク』を主張しているが、裁判所がそこから上手く逃げている感じがする。ほとんど目を向けない。そこがポイントのはずなのに、するっと外して判決を言い渡している」と裁判官への不満を口にした。
それに対し、樋口さんは「事件の本質が分からない裁判官はそうなっちゃう」と答えた。
「たくさんある資料を全部読み込んで、それに対して無難な答えをひとつひとつ出していくことが裁判官の能力ではありません。その事件の本質は何か。それだけなのです。一見複雑そうな事件でも、それを見極めれば解決できます。裁判官が見極められないということは、能力が足りないということ。その一言です。それでは済ませられないでしょうけど、悪い裁判官に当たっちゃったなということなんです。答えになっていないと思いますが…」
しかし、必死の想いで裁判所に訴えている原告からすれば「悪い裁判官に当たっちゃったな」では済まされない。「福島原発かながわ訴訟」弁護団長の水地啓子弁護士が思わず「どの裁判官に当たるかは選べない」と口にしたように、きちんと本質を見極めてくれる裁判官を選ぶことなどできない。
水地弁護士は「樋口さんには、もう一度裁判官になっていただきたい」と話したが、裁判官の資質や能力は高い水準で均質化されていないのか。それは「忖度」以前の問題だ。原告は提訴した時点で〝ギャンブル〟を強いられることになってしまう。
樋口さんは「あんまりこんなことを言うと裁判所に対する信頼を失っちゃう」としたうえで、こんなエピソードを披露した。
「大阪高裁に初めて赴任したとき、他の裁判官の判決文を読んで質の低さにびっくりしました。前例に従って体裁を整えているだけの人が驚くほど多かったのです」
区域外避難者への賠償額の低さが「裁判官の能力」に起因しているのだとしたら、こんな不幸なことはない。
(了)

【「判断に迷うから忖度する」】
「忖度する裁判官もいるでしょう。判断に迷うから忖度する。事件の本質が分からないから迷って忖度するのです」
樋口さんは「裁判官の忖度」を否定しなかった。そのうえで、自身については「忖度なんか全くない」と言い切った。
「少なくとも原発運転差止訴訟は本質論だけで解決できます。その場合、忖度が働くかどうかですが、私は福井地裁から名古屋家裁に異動しました。周囲からは『左遷だ』と言われました。『本来なら名古屋高裁に行くはずなのに、家裁に行ったから左遷だ』ということでした。しかし、そもそも私は出世コースに乗っていなかったのですよ。だから全然左遷ではありません。そういう意味で忖度が働くかというと働かない。では、仮に出世コースに乗っていて、最高裁入りも考えられる立場であったら、この判決をどうするか。間違いなく同じ結論です」
2014年5月21日、福井地裁の裁判長として関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決を言い渡した(名古屋高裁が2018年7月に取り消し)。
判決文には、こう書かれている。
「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」
「原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである」
樋口さんは当時、同期の弁護士から「歴史に残る判決を書きましたね」と言われたという。
「歴史に残りたくてあの判決を書いたのではありません。『歴史』を残したいのです。日本の歴史が途絶えるかも分からない。原発はそれだけの危険性を持っています。だから判断に迷いはありません。もし出世したいと考えていても、原発事故が起きたら最高裁自体がなくなるかもしれないですから。大げさではなく、わが国の歴史がかかっているのです」

「忖度する裁判官もいるでしょう。事件の本質が分からないから迷って忖度する」と語った樋口英明さん
【「雰囲気」と「同調圧力」】
講演後、改めて忖度の有無を尋ねると、樋口さんは「忖度でやっている人もいます。能力が足りない人もいる」とだけ答えた。話しているうちに、少しずつ分かってきたことがあった。「忖度しているのか否か」というよりも、裁判官の資質自体を樋口さんは問うているのではないかということだった。
ヒントは著書「私が原発を止めた理由」にあった。
著書のなかでは「裁判所全体が、原発推進という政権の意向に忖度しているわけではありません」、「裁判官は一部に言われているように、最高裁という伏魔殿のようなところから影の指令を受けて裁判をしているわけではありません。どの組織でもそうであるように、良心的に自分の本分を尽くしかつ能力も高い人もいるし、逆に、自分の本分が分かっていない人や良心的でない人、能力が低い人もいます」と政権への忖度を否定したうえで、次のように綴っている。
「裁判官には明確な圧力もしがらみもないのです。ただ雰囲気があるだけです。その雰囲気に敏感な裁判官はそれを圧力と感じるでしょうが、鈍感になりさえすれば全く何の圧力もしがらみもないのです」
「裁判官は裁判内容について誰からも指示や明確な圧力を受けることはありません。いわゆる同調圧力があるだけです。先例主義がまん延してくると、その同調圧力に拍車がかかります」
「そのような地位を裁判官は憲法によって保障されているのです。そして、現在の裁判所はまがりなりにも裁判官の独立を侵害しないようにしているのです」
「政権や最高裁の意向を忖度したり、圧力に屈して原発の危険性を知りながら原発を止めない裁判官と、規制委員会の判断を尊重することが正しいと思って原発の危険性に気づかないまま原発を止めない裁判官のどちらが怖いでしょうか。どちらも劣らないくらい怖いことなのです」
1カ所だけ、為政者と司法の関係について言及した箇所がある。
「最高裁が推薦した法律家を内閣が任命するという慣例が安倍政権下で破られ、最高裁の中にはそれに強く抗議するほどの人物もいなかったためか、政権に近い法律家が最高裁裁判官に任命されるということになってしまいました」
そして、読者にこう呼びかけている。
「ときには健全な怒りを示してください」

「福島原発かながわ訴訟」の原告団長・村田弘さんは「裁判所は訴訟の本質である『被曝問題』にほとんど目を向けない」と指摘した=神奈川県横浜市の「スペースオルタ」
【「原告は裁判官を選べない」】
この日、樋口さんは「事件の本質」という言葉を何度も口にした。
「福島原発かながわ訴訟」原告団長の村田弘さん(福島県南相馬市小高区からの避難を継続中)が「私たちも他の原発訴訟も『年1ミリシーベルト問題』や『被曝による健康リスク』を主張しているが、裁判所がそこから上手く逃げている感じがする。ほとんど目を向けない。そこがポイントのはずなのに、するっと外して判決を言い渡している」と裁判官への不満を口にした。
それに対し、樋口さんは「事件の本質が分からない裁判官はそうなっちゃう」と答えた。
「たくさんある資料を全部読み込んで、それに対して無難な答えをひとつひとつ出していくことが裁判官の能力ではありません。その事件の本質は何か。それだけなのです。一見複雑そうな事件でも、それを見極めれば解決できます。裁判官が見極められないということは、能力が足りないということ。その一言です。それでは済ませられないでしょうけど、悪い裁判官に当たっちゃったなということなんです。答えになっていないと思いますが…」
しかし、必死の想いで裁判所に訴えている原告からすれば「悪い裁判官に当たっちゃったな」では済まされない。「福島原発かながわ訴訟」弁護団長の水地啓子弁護士が思わず「どの裁判官に当たるかは選べない」と口にしたように、きちんと本質を見極めてくれる裁判官を選ぶことなどできない。
水地弁護士は「樋口さんには、もう一度裁判官になっていただきたい」と話したが、裁判官の資質や能力は高い水準で均質化されていないのか。それは「忖度」以前の問題だ。原告は提訴した時点で〝ギャンブル〟を強いられることになってしまう。
樋口さんは「あんまりこんなことを言うと裁判所に対する信頼を失っちゃう」としたうえで、こんなエピソードを披露した。
「大阪高裁に初めて赴任したとき、他の裁判官の判決文を読んで質の低さにびっくりしました。前例に従って体裁を整えているだけの人が驚くほど多かったのです」
区域外避難者への賠償額の低さが「裁判官の能力」に起因しているのだとしたら、こんな不幸なことはない。
(了)
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