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【浪江原発訴訟】「原発事故で全部、駄目になった」3人の女性原告が本人尋問 原発事故が奪った「それぞれのふるさと浪江」~福島地裁で第13回口頭弁論

集団ADRでの和解案(慰謝料一律増額)を東京電力が6回にわたって拒否し続けた問題で、浪江町民が国や東電を相手取って起こした「浪江原発訴訟」の第13回口頭弁論が8月19日、福島地裁203号法廷(小川理佳裁判長)で終日行われた。3人の女性原告に対する本人尋問が行われ、原発事故によって強いられた無用な被曝、失われた当たり前の日常、ふるさと剥奪などについて想いを語った。主尋問では、原告たちの切実な訴えに小川裁判長が涙を拭っているように見える場面も。一方の東電は、反対尋問で原告たちの「ふるさと喪失」に今回も向き合わず、既に支払った賠償金額を強調するやりとりに終始した。次回期日は10月21日午前10時半。
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【「心の痛みを理解して」】
 2011年3月12日。役場職員のAさん(40代)は避難支援に来ていた自衛隊のトラックに同乗していた。目的地は県立浪江高校の津島校。到着すると、既に避難者であふれかえっていた。このとき、津島地区の放射能汚染の酷さを知る町民はいなかった。それは、役場職員も同じだった。国も福島県も東電も、何も知らせてはくれなかった。
 「原発事故のことを考える余裕も、職員室のテレビを見る暇もありませんでした。原発事故に関する職員への説明など一切なし。町民に何も説明できませんでした」
 眠る時間も被曝リスクへの危機意識も持てないまま、対応に追われた。夜になるとトイレが詰まってあふれた。屋外に穴を掘り簡易トイレを設置するしかない。若い消防団員たちがいくつも穴を掘った。放射性物質を浴びながら…。
 「国や県からSPEEDI情報がもたされなかったことは許しがたいです。後から知ったことですが、津島地区は本当に線量が高かったのです。あのとき消防団員の皆さんは、どれだけ被曝してしまったのでしょう。私自身も屋外作業をしたので、被曝したのだろうと思います」
 3月15日に津島校の避難所を閉鎖して二本松市役所東和支所に移動した。無造作に置かれていた新聞の見出しに「爆発」の文字を見つけた。小学生の頃、社会科見学で「原子炉は暑いコンクリートで何重にも覆われており安全です」と教えられたが、嘘だった。
 2012年4月、賠償支援の部署に異動。賠償の枠組みは不公平なうえに不十分だったが、東電に何を言っても改善されなかったという。「強く交渉する人は賠償されて弱い人には賠償しない。高齢者や障害者など弱い人には適切な賠償がされませんでした」。町民の怒りは役場職員にぶつけられた。なかには数時間にも及ぶ苦情も。ただただ疲れて、ビールを飲んで寝るだけの毎日だった。
 「コミュニティ破壊を損害として認めてもらうには一人一人の訴えではなかなか届きません。町が先頭に立って人々の暮らしなどを訴えるために集団ADRを申し立てました。和解仲介案を受諾するよう、何度も東電に要請行動をしました。町民にも参加してもらい、二本松から大型バスで東京に行きました。相当キツい行程でしたが、文句を言う人はほとんどいませんでした」
 そこまでしても、東電は和解仲介案を受諾しなかった。そして2018年4月5日、原子力損害賠償紛争解決センターから、和解仲介手続の打切りが町役場に通知された。
 「東電が拒否するなんて全く想定していませんでした。『3つの誓い』があるので、受諾するものだと考えていました。打ち切りは本当に悔しかったです」
 Aさんは言う。
 「心の痛みは見えないので知解しがたいのかもしれないけれど、東電には心の痛みを理解する努力をしてもらいたいです」

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多くの浪江町民が避難した津島地区は、実は被曝リスクがとても高かった。Aさんは「きちんと情報が寄せられていれば、馬場有町長は町民を津島に避難させることはしなかったはずだ」と話した

【「責任の大きさ分かって」】
 千葉県出身のBさん(60代)は、都内の空調ダクト業者で働いていた夫(浪江町出身)と知り合い、結婚。浪江町に移住した。やがて、夫が独立して空調設備会社を開業。町内に自宅と工場を建てた。「自宅にはヤマザクラがあり、投光器でライトアップして花見をしました。芋煮会もやりました」。自身も実際に空調ダクトを製造するなど工場で働いた。従業員は家族だけだったが、大切な会社だった。
 「国道114号線を使って津島に避難してください」
 未曾有の揺れから一夜明けた2011年3月12日午前6時頃、町の防災無線が聞こえた。
 ワゴン車に毛布2枚などを積んで家を出た。すぐに帰って来られると考えていた。
 「津島活性化センター」は既に満員で入れず、昼頃に津島小学校に到着した。しばらく車中で過ごしているうちに体育館が満員になってしまい、教室に案内された。雑魚寝で、1人が確保できる広さは一畳もなかった。教室内のテレビを見ていた誰かが、原発事故のニュースを見て「これは駄目だな」とつぶやいた。
 「配られた食事は、おにぎりが1人1個だけでした。13日以降は4分の1のコッペパンか、おにぎりのどちらか。イチゴも配られましたが、5歳以下の子どもか80歳以上の高齢者が1個ずつもらえただけでした。食パン1斤を何もつけずに食べたこともありました。味気なかったです」
 友人を探すため雨の中、津島を歩き回った。雨具などなかった。夫と長男は帽子をかぶっていたが、後に県立福島西高校の体育館に移ったときに受けたスクリーニングで、帽子が高線量であることが分かった。津島で被曝したのだ。
 6月に福島市内の借り上げ住宅に入居するまで、二本松市・岳温泉の体育館や福島市・土湯温泉のホテルなどを転々とした。福島市内の居病院では、体調を崩して受診した夫に、医師がこんな言葉を浴びせた。
 「良いな、お前らも。賠償金をもらって」
 しかし、長引く避難生活が〝バラ色〟のはずがなかった。夫の体調は徐々に悪化していった。
 脳梗塞や骨髄線維症を発症し、2020年5月に夫は旅立った。
 「やっぱり避難生活の大変さと仕事のことが原因ではないでしょうか。原発事故がなければ、もう少し長生きできたと思います」
 会社は長男が継承したが2019年に解散した。
 「原発事故で全部、駄目になってしまいました。原発事故がなければ、私たち家族が仕事を失うことはなかった。夫も命を落とすことはなかった。浪江の友人や趣味の歌謡舞踊を失うこともなかった。国と東電には責任の大きさを分かってもらいたいと思います」

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本人尋問を終えた原告の女性は「法廷に立つなんて考えられなかったが、勇気をふりしぼってお話しして良かった」と振り返った=ラコパふくしま

【「浪江町を返してください」】
 「浪江町は私の人生そのものでした。とても良い町でした」
 現在は福島市内の復興公営住宅で暮らすCさん(70代)にとって、孫たちと過ごした時間は、本当に素晴らしい思い出だ。幼稚園への送り迎えはCさんの役目。「サンプラザ」まで歩いて買い物に行き、泉田川の土手を歌いながら歩いた。
 「家族、親戚、友人、仕事、住まい、趣味、生きがい、思い出…。生活の全てが浪江町にありました。原発事故は、多くの大切なものを奪ってしまいました。浪江町という生きる場所そのものが全て奪われました」
 Cさんの避難先は、津島地区ではなかった。
 国道114号線が陥没していて大変混んでいるという情報を聞き、裏道を使った。そこでいとこと会い、南相馬市小高区の家に同行させてもらった。だが、南相馬市にも被曝リスクがあった。2011年3月14日夜に消防から避難するよう指示が出た。そこから長い長い避難生活が始まった。
 福島市、新潟県柏崎市の妹宅を経て、3月23日には柏崎市内のアパートに入居した。福島市内のアパートに転居できたのは8月のことだった。その頃、もともと直腸ガンを患っていた父が腸閉塞と診断される。そして震災・原発事故から2年後の2013年7月、動脈瘤破裂で亡くなった。
 「原発事故は、父から浪江町での幸せな日々を奪い、過酷な避難生活を強いた。浪江町に戻ることができないまま亡くなった無念さを想像するだけで胸が張り裂けそうになります。入院後はよく『浪江に帰りたい』と口にしていました。浪江町での幸せな日々を奪われてしまい、本当に無念だったろうと思います」
 浪江の自宅は、2016年2月に解体した。大変つらかったが、放射能の不安は消えない。長男家族も中通りでの生活が定着している。1人で戻ったところで生活上の不安が尽きない…。やむなく決断した。浪江町に戻ったときには自宅跡地にも立ち寄って、思い出に浸っているという。
 Cさんはこう口にした。
 「浪江町を返してください。慰謝料をどれだけ受け取っても、心にぽっかりと傷があるような感じです」
 「大家族でのにぎやかな生活をしていたのに、原発事故でとうとう1人になってしまいました。耳鳴りが酷く、眠れなくなった。適応障害でした。現在も通院しています。6人生活が急に1人での生活になってしまって、とてもつらいです」
 「国と東電にはまず、浪江町民の苦しみをしっかりと理解していただきたい。そのうえで、誠意ある対応を心から望みます」
 小川裁判長はうなずきながら聴いていた。時折、涙を拭っているように見える場面もあった。



(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
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