【311子ども甲状腺がん裁判】「安心して生活できる補償を」 17歳女子高生が涙の意見陳述 震える声で検査や手術の痛み、将来の不安を語る~東京地裁で第2回口頭弁論
- 2022/09/11
- 18:04
福島第一原発事故後に小児甲状腺がんを罹患したのは被曝が原因であるとして若者6人(事故発生当時福島県内で暮らしていた6歳から16歳)が東京電力を相手取り損害賠償を求めた「311子ども甲状腺がん裁判」。第2回口頭弁論が7日午後、東京地裁806号法廷(坂本三郎裁判長、一般傍聴席25席)で行われた。原告のなかで最も若い17歳の女子高生が11年間の想いを意見陳述した。次回期日は11月9日。原告の意見陳述が予定されているが、裁判所側は傍聴席数が多くスピーカーも設置されている大法廷での審理を拒否。意見陳述も次回で終える方針という。なお、事故発生当時、小学校6年生だった20代女性が追加提訴。審理が併合され次第、7人で闘っていく。

【激痛伴った穿刺細胞診】
小さな法廷の証言台。プライバシー保護のために設置されたパーティションの内側で、17歳の少女は震えていた。時折、涙も流したという。
「5月26日の第1回口頭弁論で生まれて初めて裁判所に入りました。高校生の自分が、まさか裁判の原告になるとは思っていませんでしたが、原告席に座って初めて、当事者なんだと実感しました」
そして、こう口にした。
「裁判官の皆さん、11年間の私の経験を聞いてください」
震災・原発事故が起きた2011年3月は幼稚園の年長組だった。浜通りで被災し、避難。小児甲状腺ガンを罹患した可能性を指摘されたのは中学1年生のとき。学校で受けた甲状腺エコー検査はいつまでも終わらなかった。検査を担当した医師と看護師がモニター画面を見ながら何やら話していた。「不安な気持ちでいっぱいでした」。ようやく検査が終わって教室に戻ったが、自分より順番が後の生徒たちの検査は既に終わっていた。それだけ検査時間は長かった。
ガンか否かをはっきりさせるためには「穿刺細胞診(せんしさいぼうしん)」と呼ばれる検査を受けなければならない。首のしこりに注射針を刺して細胞を吸い出し、良性か悪性かを確かめる検査だ。
「穿刺細胞診のことは良く覚えています。中学校からの帰り道に直接、病院に行きました」
病院では涙がぽろぽろ流れたという。
「想像できない痛みに対する不安が一気にあふれてきたのだと思います。経験ないことをやるのだから怖かったです。診察台で目に入ってきたのは、細く長い針でした。あまりの激痛で動いてしまい、2回も針を刺されました。とても痛かったです。どうしてこんなに痛い思いをしなくてはならないのだろうと思いました」
結果は悪性だった。
手術を受けたのは中学2年生のとき。甲状腺を半分摘出した。術後はつらかったという。食事ではお粥が出されたが、飲み込むときの痛みがすさまじかった。
「あまりに痛くて涙が出ました。がんばりましたが、15分かけてようやく2センチくらいしか減っていなかったです。手術前と同じ生活を送ることができるのだろうかと、不安で眠れないこともありました」


17歳の少女は、勇気を振り絞って法廷の証言台に座った。原告代理人弁護士によると、パーティションのなかの少女は震えていたという(意見陳述の全文はこちら)
【負担大きいアイソトープ治療】
そんなつらい想いをしたのに、残念ながら再発した。2回目の手術で甲状腺を全摘出したという。
「再発が分かったのは昨年の今頃です。新型コロナウイルス感染拡大の影響で家族との面会もあまりできませんでした。リンパ腺も摘出したので、右腕を上げにくくまりました。首の右半分の感覚もなくなりました。手術から半年以上が経過しましたが、触るとなんとも言えない鈍く、気持ちの悪い感触がします。突っ張るときもあってとてもつらいです。後遺症に近いものがあると思います」
術後、再発や転移を防ぐため、放射性ヨウ素のカプセルを服用する「アイソトープ治療」を受けた。第1回口頭弁論期日の直前のことだった。
「一週間入院しました。薬は、重いふたのついたガラス容器に厳重に入れられていました。服用した翌日の夕方、のどの周囲が腫れて熱くなり、呼吸がしにくくなりました。さらに次の日の朝、目覚めたら、異様なほど声がかすれていました。のどは退院する直前まで腫れていました。声は少しずつ出せるようになっていきましたが、精神的にも身体的にも負担が大きかったです。アイソトープ治療は、もう二度と受けたくありません」
検査で苦しみ、手術で苦しみ、そして術後の治療も過酷さを極めた。小児甲状腺ガンの罹患で、少女は全てが変わってしまった。
「自分の性格や将来の夢も、まだはっきりしないうちに全てが変わってしまいました。将来、自分が何をしたいのかよく分かりません。ただ、経済的に安定した生活を送れる公務員になりたいと考えています。恋愛も結婚も出産も、縁のないものだと思っています」
「私にとっての高校生活は、青春を楽しむというよりは、安定した将来のため、大学進学のために学校推進をもらうための場です。友達とのかかわりも、深いつきあいは面倒なので距離を置いています」
将来への不安ばかりが高まる。特に経済的な不安が大きいという。
「18歳になり医療保険に加入できなかったら、これからの医療費はどうなるのか。病気が悪化したときの生活はどうすればいいのか。本当に不安です」
少女はこう言って意見陳述を終えた。
「将来、私が安心して生活できる補償を認めて欲しいです」


(上)原告代理人の1人、福田健治弁護士(中央)は閉廷後の会見で「ここまで大法廷の利用に抵抗を示されたのは初めて。小さい法廷には録音用のマイクはあるがスピーカーがない。その点も含めて大法廷での審理を求めている。継続的に原告の話を聴いて欲しい」と述べた
(下)第2準備書面について意見陳述した井戸謙一弁護士。「「17ミリシーベルトや22ミリシーベルトでも甲状腺ガンのリスクはある」などと東電の主張に反論した=東京・霞ヶ関の司法記者会
【わずか1080人のデータのみ】
法廷では、井戸謙一弁護士も第2準備書面(被告東電の答弁書に対する反論)について陳述した。
東電側は答弁書で、原告たちの甲状腺被曝線量について「本件事故によって甲状腺に有意な放射線被曝を受けていない。被曝を受けているとしても、その被曝量は極めて限定的なもの」と主張している。
その根拠は主に以下の3点。
①1080人の小児甲状腺被曝量調査で、毎時0.2マイクロシーベルトを超える者がいなかった
②福島県が2011年6月27日から2019年2月28日までに行ったホールボディカウンター(WBC)による内部被曝検査で、預託実効線量1ミリシーベルト未満の住民が99.9%を占めた
③『UNSCEAR2020年/2021年福島報告書』で、事故後1年間の被曝によって受けた甲状腺吸収線量が、避難指示区域外の10歳児で約1.0~17ミリシーベルト、避難指示区域の10歳児で1.6~22ミリシーベルトにとどまると推計されている
これに対し、原告側は訴状や第2準備書面でそれぞれ次のように反論している。
①「甲状腺被曝量の実測は、2011年3月24日から30日にかけて川俣町、いわき市、飯舘村でわずか1080人の子どもに対して実施されたのみ。これだけで40万人にも及ぶ福島県の子どもたちの甲状腺被曝量を推定することはできない」
「差し引くバックグラウンド値は測定場所の空間線量を使うべきだが、被験者の着衣表面の測定値を使ったためバックグラウンド値が大きくなりすぎた」
②「2011年3月15日からWBC検査の始まった6月27日までに103日が経過している。検査開始時点で、ヨウ素131は8224分の1に減衰した計算。そんな時期のWBC検査の結果からは、内部被曝の程度を推定することはできない」
「国や福島県は、本来行われるべき早期の甲状腺スクリーニング検査を意図的に怠った。時機を失したWBC検査を根拠として原告らの甲状腺被曝の可能性を否定するのは論外だ」
③「UNSCEARの実態は非常に政治的で組織としても公正・中立とは言えない。福島第一原発事故に係る報告についても、非科学的で多数の研究者・専門家から根本的な誤りが指摘されており、到底信頼に値しない」
「17ミリシーベルトや22ミリシーベルトでも甲状腺ガンのリスクはある。ウクライナのトロンコ論文では、10ミリシーベルト以下でも15%の子どもが小児甲状腺ガンになっている。17ミリシーベルトや22ミリシーベルトで危険がないなどと言う根拠はない」
(了)

【激痛伴った穿刺細胞診】
小さな法廷の証言台。プライバシー保護のために設置されたパーティションの内側で、17歳の少女は震えていた。時折、涙も流したという。
「5月26日の第1回口頭弁論で生まれて初めて裁判所に入りました。高校生の自分が、まさか裁判の原告になるとは思っていませんでしたが、原告席に座って初めて、当事者なんだと実感しました」
そして、こう口にした。
「裁判官の皆さん、11年間の私の経験を聞いてください」
震災・原発事故が起きた2011年3月は幼稚園の年長組だった。浜通りで被災し、避難。小児甲状腺ガンを罹患した可能性を指摘されたのは中学1年生のとき。学校で受けた甲状腺エコー検査はいつまでも終わらなかった。検査を担当した医師と看護師がモニター画面を見ながら何やら話していた。「不安な気持ちでいっぱいでした」。ようやく検査が終わって教室に戻ったが、自分より順番が後の生徒たちの検査は既に終わっていた。それだけ検査時間は長かった。
ガンか否かをはっきりさせるためには「穿刺細胞診(せんしさいぼうしん)」と呼ばれる検査を受けなければならない。首のしこりに注射針を刺して細胞を吸い出し、良性か悪性かを確かめる検査だ。
「穿刺細胞診のことは良く覚えています。中学校からの帰り道に直接、病院に行きました」
病院では涙がぽろぽろ流れたという。
「想像できない痛みに対する不安が一気にあふれてきたのだと思います。経験ないことをやるのだから怖かったです。診察台で目に入ってきたのは、細く長い針でした。あまりの激痛で動いてしまい、2回も針を刺されました。とても痛かったです。どうしてこんなに痛い思いをしなくてはならないのだろうと思いました」
結果は悪性だった。
手術を受けたのは中学2年生のとき。甲状腺を半分摘出した。術後はつらかったという。食事ではお粥が出されたが、飲み込むときの痛みがすさまじかった。
「あまりに痛くて涙が出ました。がんばりましたが、15分かけてようやく2センチくらいしか減っていなかったです。手術前と同じ生活を送ることができるのだろうかと、不安で眠れないこともありました」


17歳の少女は、勇気を振り絞って法廷の証言台に座った。原告代理人弁護士によると、パーティションのなかの少女は震えていたという(意見陳述の全文はこちら)
【負担大きいアイソトープ治療】
そんなつらい想いをしたのに、残念ながら再発した。2回目の手術で甲状腺を全摘出したという。
「再発が分かったのは昨年の今頃です。新型コロナウイルス感染拡大の影響で家族との面会もあまりできませんでした。リンパ腺も摘出したので、右腕を上げにくくまりました。首の右半分の感覚もなくなりました。手術から半年以上が経過しましたが、触るとなんとも言えない鈍く、気持ちの悪い感触がします。突っ張るときもあってとてもつらいです。後遺症に近いものがあると思います」
術後、再発や転移を防ぐため、放射性ヨウ素のカプセルを服用する「アイソトープ治療」を受けた。第1回口頭弁論期日の直前のことだった。
「一週間入院しました。薬は、重いふたのついたガラス容器に厳重に入れられていました。服用した翌日の夕方、のどの周囲が腫れて熱くなり、呼吸がしにくくなりました。さらに次の日の朝、目覚めたら、異様なほど声がかすれていました。のどは退院する直前まで腫れていました。声は少しずつ出せるようになっていきましたが、精神的にも身体的にも負担が大きかったです。アイソトープ治療は、もう二度と受けたくありません」
検査で苦しみ、手術で苦しみ、そして術後の治療も過酷さを極めた。小児甲状腺ガンの罹患で、少女は全てが変わってしまった。
「自分の性格や将来の夢も、まだはっきりしないうちに全てが変わってしまいました。将来、自分が何をしたいのかよく分かりません。ただ、経済的に安定した生活を送れる公務員になりたいと考えています。恋愛も結婚も出産も、縁のないものだと思っています」
「私にとっての高校生活は、青春を楽しむというよりは、安定した将来のため、大学進学のために学校推進をもらうための場です。友達とのかかわりも、深いつきあいは面倒なので距離を置いています」
将来への不安ばかりが高まる。特に経済的な不安が大きいという。
「18歳になり医療保険に加入できなかったら、これからの医療費はどうなるのか。病気が悪化したときの生活はどうすればいいのか。本当に不安です」
少女はこう言って意見陳述を終えた。
「将来、私が安心して生活できる補償を認めて欲しいです」


(上)原告代理人の1人、福田健治弁護士(中央)は閉廷後の会見で「ここまで大法廷の利用に抵抗を示されたのは初めて。小さい法廷には録音用のマイクはあるがスピーカーがない。その点も含めて大法廷での審理を求めている。継続的に原告の話を聴いて欲しい」と述べた
(下)第2準備書面について意見陳述した井戸謙一弁護士。「「17ミリシーベルトや22ミリシーベルトでも甲状腺ガンのリスクはある」などと東電の主張に反論した=東京・霞ヶ関の司法記者会
【わずか1080人のデータのみ】
法廷では、井戸謙一弁護士も第2準備書面(被告東電の答弁書に対する反論)について陳述した。
東電側は答弁書で、原告たちの甲状腺被曝線量について「本件事故によって甲状腺に有意な放射線被曝を受けていない。被曝を受けているとしても、その被曝量は極めて限定的なもの」と主張している。
その根拠は主に以下の3点。
①1080人の小児甲状腺被曝量調査で、毎時0.2マイクロシーベルトを超える者がいなかった
②福島県が2011年6月27日から2019年2月28日までに行ったホールボディカウンター(WBC)による内部被曝検査で、預託実効線量1ミリシーベルト未満の住民が99.9%を占めた
③『UNSCEAR2020年/2021年福島報告書』で、事故後1年間の被曝によって受けた甲状腺吸収線量が、避難指示区域外の10歳児で約1.0~17ミリシーベルト、避難指示区域の10歳児で1.6~22ミリシーベルトにとどまると推計されている
これに対し、原告側は訴状や第2準備書面でそれぞれ次のように反論している。
①「甲状腺被曝量の実測は、2011年3月24日から30日にかけて川俣町、いわき市、飯舘村でわずか1080人の子どもに対して実施されたのみ。これだけで40万人にも及ぶ福島県の子どもたちの甲状腺被曝量を推定することはできない」
「差し引くバックグラウンド値は測定場所の空間線量を使うべきだが、被験者の着衣表面の測定値を使ったためバックグラウンド値が大きくなりすぎた」
②「2011年3月15日からWBC検査の始まった6月27日までに103日が経過している。検査開始時点で、ヨウ素131は8224分の1に減衰した計算。そんな時期のWBC検査の結果からは、内部被曝の程度を推定することはできない」
「国や福島県は、本来行われるべき早期の甲状腺スクリーニング検査を意図的に怠った。時機を失したWBC検査を根拠として原告らの甲状腺被曝の可能性を否定するのは論外だ」
③「UNSCEARの実態は非常に政治的で組織としても公正・中立とは言えない。福島第一原発事故に係る報告についても、非科学的で多数の研究者・専門家から根本的な誤りが指摘されており、到底信頼に値しない」
「17ミリシーベルトや22ミリシーベルトでも甲状腺ガンのリスクはある。ウクライナのトロンコ論文では、10ミリシーベルト以下でも15%の子どもが小児甲状腺ガンになっている。17ミリシーベルトや22ミリシーベルトで危険がないなどと言う根拠はない」
(了)
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