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【ふるさとを返せ 津島原発訴訟】「原発事故で汚した津島を返して」3人の一審原告が意見陳述 「東電、国には事故を起こした責任ある」~仙台高裁で控訴審第1回口頭弁論

「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の控訴審第1回口頭弁論が9月28日午後、仙台高裁101号法廷(石栗正子裁判長)で行われた。今野秀則団長など3人の一審原告が意見陳述したほか、6人の原告側代理人弁護士が最高裁判決の誤りや国や東電の除染義務について陳述した。昨年7月の一審判決(福島地裁郡山支部、佐々木健二裁判長)では国と東電の責任が認められ慰謝料支払いが命じられたものの、肝心の「原状回復請求」は却下・棄却されているだけに、現地検証(現地進行協議)や専門家証人尋問などを通じて、改めて原状回復を求めていく。次回期日は2023年1月19日。
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【「無念さ、他人事だと思うな」】
 原告団事務局長の武藤晴男さんがまず陳述した。「毎年3・11になると、10年以上過ぎた今でも、避難で味わったつらい想いが鮮明によびがえります」。
 昨年3月、あるメディアが避難元の自宅を取材した。そこで唐突に質問された。
 「あなたにとってふるさとは?」
 とっさに「俺にとってふるさとは、ここにあって当然だ」と答えたという。
 一審の意見陳述では「両親には最後まで、故郷に戻るという約束を果たせませんでした。心苦しい思いでいっぱいです」と涙ながらに語った。「2011年3月15日からわずか3カ月間で、車の走行距離は2万kmに達しました。経営していた会社の関係で毎日、取手と浪江を往復していたからです。過度な疲労と過酷な生活と避難のストレスで、身体も家族の気持ちもバラバラになりそうでした。言葉では表現きでないほどの悲惨な体験や屈辱的な想いを、嫌というほどしてきました」とも述べていた。
 避難先で「俺、何か悪いことをしたか?」、「死ぬ時は自分の家の畳の上が良いな」とささやいた父。父の死から2年後に、入所していた施設で息を引き取った母。「津島にいれば、あの自分の家で友達や家族全員に看取られて亡くなることができたでしょう」。それを奪ったのが原発事故だ。
 「東電や国は他人事だと思わず、無念さ、悔しさ、憤りをしっかり受け止めて欲しいです」
 武藤さんは仙台高裁の法廷で語気を強めた。
 「私たちは言いたい。みんな、東電と国の『原発は安全だから』という言葉を30年以上にわたって信じて、11年前に見事に裏切られました。どうみても、東電、国には事故を起こした責任があるはずです。私の津島の生活と大切な人を奪い去っておいて、今さら『知りません』では酷いですし、『賠償は十分にしたのだからわが社の責任は既に終わった』と言い続けるあなたたちに怒りがあります」
 涙を指で拭った。
 「最後に言いたい。私の愛しい家は、私たちのふるさとは、今でもやぶのなかにひっそりと佇んでいます。どうぞ見に来てください。そして、私たちが希望を持てる判断をしてください」
 原告たちは、裁判官による現地検証(現地進行協議)を強く希望している。

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原告団長の今野秀則さんは意見陳述で「同様の事態を再び引き起こさないためにも、この仙台高裁でしっかり国の責任を断罪し、原状回復、被害回復につながる正しく公正な判断を下していただきたい」と訴えた

【「津島全体を除染して」】
 二番手は石井ひろみさん。「次の世代に引き継ぐべきものを自分の代で断ち切って良いのか…」。自宅を公費解体するべきか苦悩する夫の様子から語り始めた。
 準備宿泊が始まったと言っても、石井さんの自宅も動物がベッドを使い、コウモリが飛び交う。イノシシが掘り返した土で排水溝が埋まってしまい、床上浸水の繰り返し…。とても寝泊まりなどできない。
 「わが家は解体するしかありません。分かってはいても納得できず、踏ん切りがつかないのです。進んで津島の家を解体したい原告などいません。11年も経た自宅と周囲の有り様、そして何より後の世代に負担をかけないための苦渋の選択です」
 父親の転勤で幼い頃から転居を繰り返し、「ふるさと」と呼べる地がなかった。学生時代、新幹線の食堂車でウエイトレスのアルバイトをしていた時に知り合った男性と結婚。津島に代々続く旧家の18代目だった。新婚生活は慣れない事ばかり。誰よりも早く起きて、かまどの火をおこした。大きなかまどの前で炎を見つめながら「ここが私のふるさとになる」と決意したという。事故が起きた2011年は津島に嫁いでちょうど40年。「いつしか、どっぷり〝津島人〟でした」。しかし、ようやく手に入れたふるさとを原発事故に奪われてしまった。
 2017年7月の一審意見陳述では、被告・国と東電の代理人弁護士の方に身体の向きを変えて、にらみつけるようにこう述べている。
 「国と東電に申し上げたい。あなた方は、何度私たちをだましたら気が済むのでしょうか。『安全は何重にも担保されている。絶対に事故は起きない』と言い続けてきました。全部嘘だったことを今、私たちは知っています。もう私たちはだまされません。あなた方はずっと前から原発の危険を知っていた。それなのに何もしなかったのです。無責任な言い逃れは絶対に許されません」
 その陳述から5年。ようやく津島での除染が始まったが、対象となるのはわずか1・6%にすぎない「特定復興再生拠点」と、主要道路沿いだけ。ごくごく一部の除染だけを行い、とりあえずの〝復興〟が演出されようとしている。
 仙台高裁の法廷で、石井さんは再び国や東電の代理人弁護士たちの方に身体を向けて言った。
 「住民が帰って生活できるように、津島全体をきちんと除染してください。あなたたち国・東電がこの事故で汚した津島を返してください」

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閉廷後の報告集会は、原告たちの「がんばろう三唱」で締めくくられた。高齢の原告にとっては長い裁判闘争は負担が重いが、原状回復を求めて闘う=仙台弁護士会館

【「是が非でも現地検証を」】
 陳述を締めくくったのは、原告団長の今野秀則さん。津島地区の現状を中心に語った。
 「原発事故後すでに12年目です。しかし、私たちのふるさと津島は帰還困難区域のまま。現在も誰一人帰れない状況です」
 「地域の将来が見えないため断腸の思いで一家団欒の思い出が詰まったわが家を解体撤去する例が増え、残された空き地にまるで墓標のようにポツンと完了札がたてられています」
 「一方〝拠点外〟は、森に飲まれる寸前の家屋やすでに森林と化した田畑など荒廃を極めている状況にあります」

 国も東電も「原発は絶対に安全」と言い続けた。「多重防護をしているから過酷事故にはならない」とも言っていた。しかし〝安全神話〟が語られ続けた末の原発事故で、津島の人々も長期避難を強いられた。ふるさともわが家も奪われた。地域コミュニティも伝統芸能も壊された。その背景には当然、規制権限を行使しなかった国の責任があると今野さんたちは考えるが、司法は真逆の判断を示した。
 「6月17日、国に原子力発電事業者を規制する責任はないとの最高裁判決が下されました。こんな不当な判決は想定だにしていませんでした。裏切られた想いが私たちをはじめ、全国の原発事故被害者訴訟原告団の共通の受け止めです」
 昨年1月、一審の最終意見陳述で、今野さんはこう訴えた。
 「被告・東電が主張するような単なる郷愁、ノスタルジーではありません。私たちにとっては代替不可能な地域に根ざす生活そのものであり、それを失うことは人生を奪われるに等しいことなのです。山林を含む津島地区全体が除染されて元に戻らない限り、私たちの生活は取り戻せません。私たちのふるさと津島を取り戻すことは、代替不可能な生きる場所を取り戻すことなのです」
 だから控訴審でも「原状回復」を強く求める。
 「同様の事態を再び引き起こさないためにも、この仙台高裁でしっかり国の責任を断罪し、原状回復、被害回復につながる正しく公正な判断を下していただきたいと切に願う」
 そして最後にこう述べた。
 「被害の実態を正しく捉え、裁判官の良心に基づく真っ当な判断を下す基礎となるべく現地検証(現地進行協議)が是が非でも必要です」



(了)
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鈴木博喜

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