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【67カ月目の浪江町はいま】これで避難指示解除など出来るのか? 「まずは役人が住め」。華々しい仮設商店街オープンの陰で深まる町民の苦悩、怒り、哀しみ

原発事故による全町民避難中の福島県浪江町に28日、仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」がオープン。コンビニや飲食店、コインランドリーなど10店舗が営業を始めた。しかし、華々しいイベントとは裏腹に、町民の帰還意欲は高まらない。商店街では、町民の想いを無視して来春の避難指示解除(帰還困難区域を除く)を進めようとする国への怒りも聞かれた。強引な帰還促進の陰に見え隠れする賠償打ち切りと東京五輪。お年寄りの姿が目立った仮設商店街は、不幸にも放射能汚染で子育て世代が離れていく町の姿を現しているようだ。これで避難指示解除など出来るのか。


【戻りたい…でも、戻らない】
 営業を始めたのはコンビニ「ローソン」のほか、なみえ焼きそばや海鮮丼を提供する食堂、カフェ、コインランドリー、クリーニング店など10店舗。左右に5店舗ずつ並び、トイレも併設した。建設費用は、独立行政法人中小企業基盤整備機構の「仮設施設整備事業」を利用した。
 30日までの3日間は記念イベントとして各日先着300人に大堀相馬焼の箸置きをプレゼントするほか、3店舗を利用した人を対象にした抽選会、歌謡ショーなどが開かれる。初日は平日ということもあり人出はまばらだったが、特に飲食店は町民や復興事業作業員らでにぎわった。権現堂地区に自宅のある女性は「便利にはなる。トイレを利用するついでに買い物が出来るようになった」と話した。
 2017年3月末で帰還困難区域以外の避難指示を解除する方針を打ち出している国に対し、浪江町はいまだ帰還時期を明示するに至っていない。今年6月と7月に避難先の都内や福島県内で開かれた住民懇談会でも、避難指示解除に対する否定的な意見が相次いだ。昨年9月に実施された住民意向調査では、町に「戻らないと決めている」と答えた町民が48%に達し、「戻りたいと考えている」の17.8%を大きく上回った。高齢者ほど帰還の意欲は高いが、最も高い「70代以上」でも23.1%にとどまる。
 町は、仮設商店街の開業を「将来の避難指示解除に向けた生活環境整備の一環」(産業振興課)と位置付けている。インフラの整備も含め、来春の避難指示解除を目標に据えているのは事実だ。しかし、町民の苦悩は深い。4年後の東京五輪を視野に入れて国は強引に避難指示解除を急ぐが、原発事故に振り回された町民が思惑通りに動くはずもない。
 仮設商店街を訪れた町民らは「私1人戻ったところでどうなるものでもないものね。隣近所も避難先で新しい家を建ててしまって戻らないから」、「もちろん最終的には戻りたいと考えているが、周囲が戻らないことにはね…。来春?うーん、南相馬に自宅を建てたし、浪江で暮らすようになるには10年はかかるんじゃないかな」、「確かに帰還困難区域に比べれば空間線量は低いかも知れないが、目と鼻の先に原発があるからね。安心して子どもと一緒に戻れないよ」など、苦しい胸の内を明かした。






(上)浪江町役場敷地内にオープンした仮設商店街。来春の避難指示解除をにらんだ準備の一つという=福島県浪江町幾世橋
(中)仮設商店街ではカフェなど10店舗が営業。ターゲットは役場職員や一時帰宅、準備宿泊の町民、除染作業員
(下)10店舗のうち2店舗はコインランドリー。「洗濯機を処分してしまった町民も多く、ニーズは高いと思われる」と町職員は語る

【9月の「準備宿泊」わずか2%】
 地元メディアは、仮設商店街の開業を「帰還促進」の側面から大きく報じる。誰だって帰りたい。二本松市に避難中の60代男性は「親は『浪江の自宅で死にたい』と話している。私だって戻りたい。いつまでも〝避難民〟として扱われるのは嫌だ」と目に涙を浮かべながら話した。自宅がある苅宿地区は居住制限区域に分類されている。「今日も、自宅は1.2μSv/hもあったんだ」と表情を曇らせた。故郷への想いと放射能汚染への悔しさが交錯する。永田町や霞が関が、机上の空論で「住民帰還」を促すほど簡単な問題ではないのだ。
 浪江町帰町準備室によると、今年9月1日から26日にかけて実施された「特例宿泊」(帰還困難区域を除く)を利用した町民は、把握出来ているだけで131世帯269人。これは、宿泊の対象となる「避難指示解除準備区域」や「居住制限区域」に自宅のある住民(計5879世帯)の、わずか2%程度にすぎない。コールセンターに事前登録し当日、役場に積算線量計を受け取りに来た町民の数を集計した。50代、60代、70代で76%を占め、0歳から14歳までの子どもはゼロ。15歳から19歳も4人にとどまった。自宅が荒廃して宿泊出来る状態にない町民のために「ホテルなみえ」(32室、1泊2000円)も用意されたが、26日間の宿泊者数は47世帯85人だった。11月1日からは、避難指示解除まで期限を設けない「準備宿泊」が始まるが、どれだけの町民が利用するかは疑問だ。
 仮設商店街の開業に合わせ、町はバスツアーを企画(3日間のみ。1日2便)。常磐線・浪江駅周辺や沿岸部の請戸地区を1時間ほどで巡り、認定こども園も含め小中一貫校への改修を始める浪江東中学校(2018年4月開校予定)や大平山霊園、災害公営住宅への改修工事が進む雇用促進住宅なみえ宿舎などを車内から眺めたが、参加した男性は「復旧・復興と言ってもごく一部」とため息をついた。
 津波で壊滅的な被害を受けた請戸地区は、黄色い雑草が伸び切っている。子育て世代が帰還に消極的な中、新たな学校へどのくらいの子どもが集まるかも見通しが立たない。沿岸部に設置された仮設焼却炉からは今日も、可燃性の除染廃棄物を燃やす白い煙が出ている。「遡上した鮭で川面が真っ黒になった」と町民が振り返る泉田川も静かなまま。海の幸に感謝して建立された「鮭供養塔」は雑草に囲まれていた。
 請戸小学校の一角には、複数のカエルの石像が置かれている。カエルたちの視線の先には福島第一原発が小さく見える。町民は言う。「こいつらが原発を〝監視〟しているんだよ」。原発事故さえ無ければ、帰還で悩む事も無かったのだ。






(上)浪江町が企画した町内バスツアー。車窓には黄色い雑草が広がった。参加した女性は黙って窓の外を眺めていた
(中)「避難指示解除準備区域」の幾世橋地区には「祈復興」ののぼりが立っていた。放射能汚染が町民から奪ったものはあまりにも大きい
(下)請戸小学校に置かれたカエルの石像。視線の先にある福島第一原発を〝監視〟しているという

【「好きで避難しているんじゃ無い」】
 取材に応じた浪江町商工会の関係者の言葉は怒りに満ちていた。
 「賠償にせよ避難指示解除にせよ、町民の想いが反映されていない。まだ治癒していないのに、入院患者を無理やり退院させるようなものだ。原発事故は人の心までも奪ったんだ」
 国は商売を営んでいた町民に事業再開を促すが、商売相手だった町民は全国に避難してバラバラ。大熊町や双葉町の「お客さん」も失った。避難先の方が生活上の利便性が良い事も手伝って帰還への意欲は低い。仮に町内で事業を再開しても、家族が避難先にとどまる以上、時間をかけて町に通勤するケースが出てくる。自身も、避難先の中通りから2時間弱かけて車で町の商工会に通勤している。
 「国策は帰還。でも、実際には避難指示が解除されても避難を継続している人の方が多い。誰も好き好んで避難をしているわけじゃない。旅行じゃないんだ。最後まで責任を持って手当をするのが当然だろう。われわれには2017年3月末なんて日程は関係ないんですよ」
 見え隠れする賠償打ち切りの思惑。ないがしろにされる放射線防護。「国の役人は浪江に住めるのか。まず住んでみて、安全性を証明してからわれわれに帰るよう言って欲しい」と語気を強めた。
 華々しい仮設商店街開業の陰で深まる住民の怒りや哀しみ。ある飲食店の経営者は「美味しい食事で町民を元気にしたい」と話した。もちろん、前向きさは必要だろう。町内バスツアーでも、町役場の職員がロボット関連の企業団地やドローンの滑走路、道の駅、復興祈念公園、営農再開など多岐にわたる取り組みを紹介した。参加した女性は、車窓に広がる黄色い雑草を黙って眺めていた。「復興」といっても役場を中心とした一部のエリアだけ。常磐線の線路をはさんだ西側には、より汚染度の高い地域が広がる。そして避難指示解除どころではない帰還困難区域。「前向きさ」だけでは覆い隠せない現実も直視しなければならない。
 国は4年後の東京五輪で福島の「復興」を世界にアピールしようとしている。強制避難者も自主避難者も被曝リスクも無かったことにされる。浪江町民も置き去りにされるのだ。


(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
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