【12年目の「ふるさと津島」はいま(前編)】バリケードの向こうで朽ちていくわが家 解体へ揺れる心、続く放射能汚染、帰還意向尋ねる国への怒り
- 2023/03/16
- 18:21
帰還困難区域に指定された浪江町津島地区では今月末に一部の「特定復興再生拠点区域」が避難指示解除される。「3・11」から一夜明けた12日、福島県中通りで避難生活を送る50代の夫妻に、自宅のある津島地区を案内してもらった。避難指示解除と言っても夫妻のような〝拠点外〟が大半で、しかも帰還意向を示さないと除染の対象にすらならない。バリケードの向こう側で朽ちて行くわが家。豊かな生活を奪った原発事故への怒りと続く放射能汚染…。原発事故で放射性物質がまき散らされるとどうなるのか。2回にわたってリポートする。

【「西へ逃げろ!」から12年】
係員の女性がゲートを押し開ける。国道114号線から3kmほど進んだ奥が避難元だ。
「一時帰宅は去年のお盆以来かな。5カ月ぶりだ」
自宅のある浪江町大字赤宇木は「あこうぎ」と読む。「原発事故ですっかり〝有名〟になってしまった…」。
途中、サルの群れに出くわした。道の両脇に何頭もいた。食べるのに夢中なのか、車を停めても逃げようともしない。
「彼らがいまの赤宇木の住人…。ほら、俺たちににらみをきかせてるよ。サルの方が『なんだおめえ』って、こっちを見てるんだからね。人が住んでいないってことは、彼らにとっては天国なんだなあ」
国有林からの落ち枝をどかしながら、ようやく自宅にたどり着いた。広い庭は陽当たりが良く、原発事故前はバーベキューを楽しんだ。妻は裏山から採ってきたタラノメやフキノトウを天ぷらなどに調理した。酒を呑んで大声を出しても誰にも迷惑をかけない。夜は満天の星空。ここで、避難して来た妹家族を受け入れた。浪江町民にとって津島は「避難先」だった。激しく汚染されていることなど教えてもらえなかった。
「妹たちを受け入れてからも庭でバーベキューをやったよ。何の情報もないし、そもそも原発が爆発するなんて考えもしなかった。安全神話を信じてしまっていたんだなあ。吹っ飛ぶまでは原発は大丈夫だと考えていた。妹家族も2、3日で帰るつもりだったから、何も持ってきていなかった」
自宅を離れたのは3月15日の午前中。行政区長が訪ねて来て「西へ逃げろ!」と伝えた。あれから12年。住み慣れたわが家は、すっかり荒れ果ててしまった。
玄関のカギを開ける。夫はイノシシの侵入を防ぐための補強板をまたいで入った。筆者はベランダから靴のまま失礼した。床が音をたててきしむ。穴を開けてしまわないように注意しながらゆっくりと歩いた。クモの巣が目に入る。マスクをしていてもカビのきつい臭いが鼻をついた。壁の時計が14時46分で止まっている。カレンダーも、中学校への入学通知書もすべてあの日のまま。
ここに家族が戻って暮らすことは、もうない。家族の意思での転居などではない。原発事故に奪われたのだ。



(上)避難元自宅の敷地内では、手元の線量計は毎時1マイクロシーベルトを軽く上回る
(中)自宅内はクモの巣が張り、床は抜けそうな音。マスクをしていてもカビ臭が鼻をついた
(下)妻は少しだけ車を下りたが、被曝リスクを避けるようにすぐに車内に戻った
【「わが家は残したい。でも…」】
「帰還もへったくれもないよね。放射能に汚染されているし、朽ちてしまって現実問題としてここで住むことはできない…」
20代で建てた家。妻と一緒に植えたケヤキは大木に成長した。子どもが家を建てるときに使ってもらおうと植えたスギも立派になった。自宅近くではフキノトウが春の訪れを告げていたが、フクロウやリスが生活するほどの豊かな自然。畑ではウメやブルーベリーを栽培していた。建物はもちろん、そういう生活環境もすべて汚されてしまった。そして、夫妻にはつらい決断が待っている。
「避難元の自宅は解体しなくちゃいけないというのは分かっているんだ…。俺が建てた家だけど解体してもらうつもりだよ。俺ががんばっても、子どものうち誰かが相続しなければいけない。管理もしなきゃいけない。そうなったときに〝負の遺産〟になってしまう。だから壊すしかない…。誰だってがんばって残したいよ。でも、それではまずいんじゃないかってね。解体せざるを得ない」
京都大学「複合原子力科学研究所」研究員・今中哲二さんら「飯舘村放射能エコロジー研究会・放射網汚染調査グループ」の調査では、原発事故発生から9年が経過した2020年11月の段階でも、地上1メートルの空間線量率は高いところで毎時7マイクロシーベルト超、低い地点でも毎時1マイクロシーベルトを上回った。
今中さんは「この5年間で約半分になったがそれでもかなり大きい」、「赤宇木地区の放射能汚染は、飯舘村の高汚染地区に比べて、ひと回りからふた回り大きい」と報告書に綴っている。夫妻の自宅でも、手元の線量計は毎時1・5マイクロシーベルト前後を示した。それを分かっているから、妻は取材中、あまり車から外に出なかった。
そもそも国はなぜ、帰還困難区域全体を除染しないのか。「特定復興再生拠点区域」(津島、室原、末森)は除染されて今月末に避難指示が解除されるが、津島では全体面積のわずか1・6%。残りは〝拠点外〟で、国の意向調査に「帰還意向あり」と回答しないと除染の対象とならない。
「仮に交通事故で相手の車を全損させてしまったら保険で弁償する。それなのに、われわれの場合は、汚した側から『帰るのなら除染してやるよ』と言われている。それはおかしくないですか?帰るか帰らないかは被害者であるこちらの問題。こちらの自由。交通事故で車を壊した側が『今後も車に乗りますか?』とは質問しないでしょ。『今後も車に乗るのなら弁償します。もう乗らないのなら弁償しません』なんて話はないでしょ。そんなこと質問すること自体がおかしいんだ」



(上)玄関にはイノシシの侵入を防ぐための補強板が張られている
(中)春の訪れを告げるフキノトウ。原発事故は山の幸も奪った
(下)台所で眠っていた「幻の梅酒」。津島の梅酒を味わうことはもうできない
【台所で眠っていた「津島の梅酒」】
解体するしかない。そんなことは他人から言われなくなって分かっている。でも…。
「あと5年でローンが終わるというときに原発事故が起きてしまった。ローンが終わったら、それまで返済に充てていた分を貯金できるなと考えていたのにね…。平屋だけど、後で子どもたちのために建て増しできるようにちゃんと考えて建てたんだよ。いま住んでいる家に思い入れなんかないよ。あるのはこの家だ」(夫)
そんなに簡単に気持ちの整理などつくはずもない。心は揺れる。
「既に解体してもらった人は良いよね…未練がないというか…あきらめきれる。一時帰宅する場所がないんだから。除染を全部やらせるまでは、あきらめられないね。たぶん子どもたちは帰らない。ここでは生活できない。でも、ちゃんと除染させたい。それが汚した側の責任だから」
台所で偶然、酒瓶を見つけた。原発事故前、笹の川酒造(福島県郡山市)に依頼してつくってもらった梅酒だった。
「いやーなつかしいなあ。うちも含めて津島のみんなでつくったウメを使ったんだ」
原発事故さえなければ、今年も呑めたはずの「津島の梅酒」。それはどんな味がしたのだろう。放射能はすべてを奪った。
車でゲートに向かう。スクリーニング場で手渡されたトランシーバーで「戻って来たので開けてください」と連絡を入れると、先ほどの女性係員がやってきた。ゲートが閉じられる。
思い出がたくさん詰まったわが家はバリケードの向こう側。「特定復興再生拠点区域」の避難指示が解除されても、わが家に行くには事前申請や許可が要る。ゲートの解錠が要る。拠点外除染の順番がいつ回って来るかも分からない。それは妻の実家も同じだ。(後編に続く)
(了)

【「西へ逃げろ!」から12年】
係員の女性がゲートを押し開ける。国道114号線から3kmほど進んだ奥が避難元だ。
「一時帰宅は去年のお盆以来かな。5カ月ぶりだ」
自宅のある浪江町大字赤宇木は「あこうぎ」と読む。「原発事故ですっかり〝有名〟になってしまった…」。
途中、サルの群れに出くわした。道の両脇に何頭もいた。食べるのに夢中なのか、車を停めても逃げようともしない。
「彼らがいまの赤宇木の住人…。ほら、俺たちににらみをきかせてるよ。サルの方が『なんだおめえ』って、こっちを見てるんだからね。人が住んでいないってことは、彼らにとっては天国なんだなあ」
国有林からの落ち枝をどかしながら、ようやく自宅にたどり着いた。広い庭は陽当たりが良く、原発事故前はバーベキューを楽しんだ。妻は裏山から採ってきたタラノメやフキノトウを天ぷらなどに調理した。酒を呑んで大声を出しても誰にも迷惑をかけない。夜は満天の星空。ここで、避難して来た妹家族を受け入れた。浪江町民にとって津島は「避難先」だった。激しく汚染されていることなど教えてもらえなかった。
「妹たちを受け入れてからも庭でバーベキューをやったよ。何の情報もないし、そもそも原発が爆発するなんて考えもしなかった。安全神話を信じてしまっていたんだなあ。吹っ飛ぶまでは原発は大丈夫だと考えていた。妹家族も2、3日で帰るつもりだったから、何も持ってきていなかった」
自宅を離れたのは3月15日の午前中。行政区長が訪ねて来て「西へ逃げろ!」と伝えた。あれから12年。住み慣れたわが家は、すっかり荒れ果ててしまった。
玄関のカギを開ける。夫はイノシシの侵入を防ぐための補強板をまたいで入った。筆者はベランダから靴のまま失礼した。床が音をたててきしむ。穴を開けてしまわないように注意しながらゆっくりと歩いた。クモの巣が目に入る。マスクをしていてもカビのきつい臭いが鼻をついた。壁の時計が14時46分で止まっている。カレンダーも、中学校への入学通知書もすべてあの日のまま。
ここに家族が戻って暮らすことは、もうない。家族の意思での転居などではない。原発事故に奪われたのだ。



(上)避難元自宅の敷地内では、手元の線量計は毎時1マイクロシーベルトを軽く上回る
(中)自宅内はクモの巣が張り、床は抜けそうな音。マスクをしていてもカビ臭が鼻をついた
(下)妻は少しだけ車を下りたが、被曝リスクを避けるようにすぐに車内に戻った
【「わが家は残したい。でも…」】
「帰還もへったくれもないよね。放射能に汚染されているし、朽ちてしまって現実問題としてここで住むことはできない…」
20代で建てた家。妻と一緒に植えたケヤキは大木に成長した。子どもが家を建てるときに使ってもらおうと植えたスギも立派になった。自宅近くではフキノトウが春の訪れを告げていたが、フクロウやリスが生活するほどの豊かな自然。畑ではウメやブルーベリーを栽培していた。建物はもちろん、そういう生活環境もすべて汚されてしまった。そして、夫妻にはつらい決断が待っている。
「避難元の自宅は解体しなくちゃいけないというのは分かっているんだ…。俺が建てた家だけど解体してもらうつもりだよ。俺ががんばっても、子どものうち誰かが相続しなければいけない。管理もしなきゃいけない。そうなったときに〝負の遺産〟になってしまう。だから壊すしかない…。誰だってがんばって残したいよ。でも、それではまずいんじゃないかってね。解体せざるを得ない」
京都大学「複合原子力科学研究所」研究員・今中哲二さんら「飯舘村放射能エコロジー研究会・放射網汚染調査グループ」の調査では、原発事故発生から9年が経過した2020年11月の段階でも、地上1メートルの空間線量率は高いところで毎時7マイクロシーベルト超、低い地点でも毎時1マイクロシーベルトを上回った。
今中さんは「この5年間で約半分になったがそれでもかなり大きい」、「赤宇木地区の放射能汚染は、飯舘村の高汚染地区に比べて、ひと回りからふた回り大きい」と報告書に綴っている。夫妻の自宅でも、手元の線量計は毎時1・5マイクロシーベルト前後を示した。それを分かっているから、妻は取材中、あまり車から外に出なかった。
そもそも国はなぜ、帰還困難区域全体を除染しないのか。「特定復興再生拠点区域」(津島、室原、末森)は除染されて今月末に避難指示が解除されるが、津島では全体面積のわずか1・6%。残りは〝拠点外〟で、国の意向調査に「帰還意向あり」と回答しないと除染の対象とならない。
「仮に交通事故で相手の車を全損させてしまったら保険で弁償する。それなのに、われわれの場合は、汚した側から『帰るのなら除染してやるよ』と言われている。それはおかしくないですか?帰るか帰らないかは被害者であるこちらの問題。こちらの自由。交通事故で車を壊した側が『今後も車に乗りますか?』とは質問しないでしょ。『今後も車に乗るのなら弁償します。もう乗らないのなら弁償しません』なんて話はないでしょ。そんなこと質問すること自体がおかしいんだ」



(上)玄関にはイノシシの侵入を防ぐための補強板が張られている
(中)春の訪れを告げるフキノトウ。原発事故は山の幸も奪った
(下)台所で眠っていた「幻の梅酒」。津島の梅酒を味わうことはもうできない
【台所で眠っていた「津島の梅酒」】
解体するしかない。そんなことは他人から言われなくなって分かっている。でも…。
「あと5年でローンが終わるというときに原発事故が起きてしまった。ローンが終わったら、それまで返済に充てていた分を貯金できるなと考えていたのにね…。平屋だけど、後で子どもたちのために建て増しできるようにちゃんと考えて建てたんだよ。いま住んでいる家に思い入れなんかないよ。あるのはこの家だ」(夫)
そんなに簡単に気持ちの整理などつくはずもない。心は揺れる。
「既に解体してもらった人は良いよね…未練がないというか…あきらめきれる。一時帰宅する場所がないんだから。除染を全部やらせるまでは、あきらめられないね。たぶん子どもたちは帰らない。ここでは生活できない。でも、ちゃんと除染させたい。それが汚した側の責任だから」
台所で偶然、酒瓶を見つけた。原発事故前、笹の川酒造(福島県郡山市)に依頼してつくってもらった梅酒だった。
「いやーなつかしいなあ。うちも含めて津島のみんなでつくったウメを使ったんだ」
原発事故さえなければ、今年も呑めたはずの「津島の梅酒」。それはどんな味がしたのだろう。放射能はすべてを奪った。
車でゲートに向かう。スクリーニング場で手渡されたトランシーバーで「戻って来たので開けてください」と連絡を入れると、先ほどの女性係員がやってきた。ゲートが閉じられる。
思い出がたくさん詰まったわが家はバリケードの向こう側。「特定復興再生拠点区域」の避難指示が解除されても、わが家に行くには事前申請や許可が要る。ゲートの解錠が要る。拠点外除染の順番がいつ回って来るかも分からない。それは妻の実家も同じだ。(後編に続く)
(了)
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