【ふるさとを返せ 津島原発訴訟】「津島での生活すべて奪われた」「国と東電を正当に裁いて」男性原告が意見陳述~仙台高裁で控訴審第4回口頭弁論
- 2023/04/27
- 18:29
原発事故による放射能汚染で今なお帰還困難区域に指定されている福島県双葉郡浪江町津島地区の住民が、国や東電に原状回復と完全賠償を求めた「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の控訴審。第4回口頭弁論が26日午後、仙台高裁(石栗正子裁判長)で行われた。男性原告が意見陳述。「国と東電を正当に裁いて」などと訴えたほか、代理人弁護士も、国の責任を否定した最高裁判決の誤りについて陳述した。次回期日は7月21日。5月25日には現地進行協議が実施され、石栗裁判長らが「津島のいま」を体感する。

【「津島に戻りたいです」】
「私たちの生活の根幹は、今回の事故により突如として失われました。避難先を転々とするうちに、親しかった住民はバラバラになりました。家だけではない。日々の仕事道具もいままで食べていたものも、家族と歩いて来た道の景色、山の陽射し、風の匂い、草を踏む音…それらすべてが1日にして奪われ、別の何かにすり替えられたのです」
意見陳述を行った柴田明範さん(57)は、ゆっくりと、ひと言ひと言きちんと裁判官に伝わるように語った。
原発事故ですっかり〝全国区〟になってしまった赤宇木地区に生まれ育った。19歳で結婚。祖父が開拓した田畑を引き継ぎ、夫婦で兼業農家としてダイコンやキュウリ、ナス、ジャガイモなどの野菜を生産・出荷していた。
山も所有していたのでフキノトウやワラビ、タラノメ、キノコなどの山菜を採ることもできた。まさに「春から秋まで豊かな食生活」。米は近所の農家から1年分を購入した。味噌は冬に妻がつくった。生活用水は沢の水や井戸水を使っていた。「私たち家族の食生活は、肉や魚をのぞけば、その地(津島)にあるもので完結していました」。
食生活だけではない。「津島で暮らす親子がみな、家族のように交流を続けていました」。原発事故が奪った「生活の根幹」とはそういうことだ。未曽有の原発事故でいきなり避難を命じられ、12年を経た今なお自宅に戻ることが叶わないでいる。それがどういうことか。読んでいるあなたには想像できるだろうか。
柴田さんは言う。
「裁判を始めたとき(2015年9月提訴)から何も変わりありません。私たち夫婦は津島に戻りたいです」
その想いは高齢の父親も同じだった。ある日、二本松市内の仮設住宅から姿が消えた。捜し歩いたが見つからず、「もしや」と津島の自宅に駆けつけると、ご飯を食べていた。町に戻る町民の車に同乗させてもらったという。
「訴えを起こしている私たち全員にとって、ふるさとは津島しかないのです」
父親は避難生活の無理がたたり、原発事故発生から4年後の2015年に亡くなった。


意見陳述で「元に戻す責任から逃れるこのに終始する国と東電を正当に裁いてください」と訴えた柴田明範さん=仙台弁護士会館
【冷遇続く〝復興拠点外〟】
原発事故から12年。〝津島の子どもたち〟も大人になった。避難先でそれぞれの生活を送り、新しい人生を歩んでいる。
「時間の経過や世代の交代が、原状回復として国や東電がすべき除染をしなくて良いという理由にはならないはずです。そもそも、私たちには津島に帰還するか否かを悩み、選択する権利すら実現していないのです。私たちの世代も、子どもたちも、今の生活を自分の意思で選び取ったものではない。だから『津島に戻って生活する』という選択肢の回復を求めています」
津島地区では3月31日午前10時、「特定復興再生拠点区域」の避難指示が解除された。しかし、拠点区域に指定され、除染が実施されたのは津島全体のわずか1・6%にすぎない。柴田さんの自宅も含めた大部分が「拠点外」だ。
国は「拠点外」については「帰還の意思を示した住民の生活圏だけを除染する」との方針を決定。今も変えていない。被害者が「津島に戻るのでお願いします」と言わないと線量低減に取り組まないという不条理。津島に住んでいた誰もが「順番が逆だ。まずは汚した側がきれいにしてから『戻りますか?』と尋ねるのが筋だろう」と怒っているが、当然だ。柴田さんも法廷で次のように訴えた。
「被害者が津島に帰るか帰らないか、農業に復帰するかしないかといったことは、その家や農地を持っている人が判断すること。加害者は判断の土台を壊したのですから、それを修復するのが当然のことです。いまの世代や後の世代が農業をやらないのなら除染も必要ないという考え方は到底、受け入れられません。被害者にこそ、津島に戻り、元の生活を送るかどうかを選び取る権利がなくてはなりません」
そして、こう締めくくった。
「どうか、私たちの正当な権利の実現を認めてください。そして、元に戻す(原状回復する)責任から逃れるこのに終始する国と東電を正当に裁いてください」


(上)5月25日には、一心に続き現地進行協議が行われ、石栗裁判長らが津島の被害状況を実際に見る。3月には弁護団と原告団によるリハーサルが行われた(弁護団提供)
(下)ここに来て、東電が「現地進行協議での説明時間が欲しい」と要求。原告団長の今野秀則さんは「われわれが受けた被害を裁判官に見てもらう場。加害者である東電が現地で何を『説明』するというのか。理解できないし、はらわたが煮えくり返る」と怒りを口にした
【東電が〝前代未聞〟の要求】
菊間龍一弁護士も第10準備書面の要旨について意見陳述。
昨年6月17日に最高裁第二小法廷(菅野博之裁判長)が言い渡した判決(国の責任を否定)について「事実認定は誤り」と主張。「(国が規制権限を行使すれば)津波対策の必要性を認識した東電は、まずは先行して水密化などの措置を講じたはず」、「それによって本件原発事故の結果を回避することができたことは、株主代表訴訟判決によっても裏付けられる」と述べた。
最高裁判決が誤っているのであれば、下級審がそれに拘束されることは避けたい。だが、3月10日に言い渡された「いわき市民訴訟」の控訴審判決では、仙台高裁の小林久起裁判長は国の規制権限不行使を断罪しながら、最後の最後で「しかし…必ず本件津波に対して施設の浸水を防ぐことができ…重大事故を防ぐことができたはずであると断定することまではできない」とひっくり返して、国の責任を否定した。
「まさに『裁判官の独立』が問われている」と菊間弁護士。「『憲法及び法律』に従って、公正な判断がなされることを求めます」と訴えた。
なお5月25日には、一審(2018年9月)に続き、石栗裁判長らが津島地区を実際に歩く「現地進行協議」が行われる。「特定復興再生拠点区域」内外など10カ所を駆け足で巡り、原発事故被害の実相を裁判官に伝える。石栗裁判長は、採用にあたって「判決を実感を持って書くため」と口にしたという。
弁護団の白井劍弁護士によると、閉廷後の進行協議で東電側から思わぬ要求が出された。
「短時間でこれだけは見てもらいたいと絞り込んでスケジュールを組んだ。それなのに、ここに来て東電側が『自分たちも現場で説明をしたい。最大で5分間欲しい』と言い出した。そうなると、最大で50分間は割かれてしまう。しかも、東電側がどこでどのような説明をするのか分からない。『検討中だから答えられない』という。恐らく前代未聞。こんな馬鹿な話があるか」
当然、原告側の弁護士たちは怒り、進行協議は紛糾。結局、5月15日までに仙台高裁に説明内容を提出することになったが、それでも東電側代理人は「最大限努力するが、約束はできない」と答えるにとどまったという。
「東電の対応は一審のときから酷かったが、代理人が(岩倉正和弁護士を中心とする体制に)変わってから本当に酷くなった」と白井弁護士。原告団長の今野秀則さんも「われわれが受けた被害を裁判官に見てもらう場。加害者である東電が現地で何を『説明』するというのか。理解できないし、はらわたが煮えくり返る」と怒りをあらわにした。
なお、原告側が申請している獨協医科大学の木村真三准教授(国際疫学研究室福島分室室長、二本松市放射線専門家チームアドバイザー)に対する専門家証人尋問については、今回も採否が留保された。
(了)

【「津島に戻りたいです」】
「私たちの生活の根幹は、今回の事故により突如として失われました。避難先を転々とするうちに、親しかった住民はバラバラになりました。家だけではない。日々の仕事道具もいままで食べていたものも、家族と歩いて来た道の景色、山の陽射し、風の匂い、草を踏む音…それらすべてが1日にして奪われ、別の何かにすり替えられたのです」
意見陳述を行った柴田明範さん(57)は、ゆっくりと、ひと言ひと言きちんと裁判官に伝わるように語った。
原発事故ですっかり〝全国区〟になってしまった赤宇木地区に生まれ育った。19歳で結婚。祖父が開拓した田畑を引き継ぎ、夫婦で兼業農家としてダイコンやキュウリ、ナス、ジャガイモなどの野菜を生産・出荷していた。
山も所有していたのでフキノトウやワラビ、タラノメ、キノコなどの山菜を採ることもできた。まさに「春から秋まで豊かな食生活」。米は近所の農家から1年分を購入した。味噌は冬に妻がつくった。生活用水は沢の水や井戸水を使っていた。「私たち家族の食生活は、肉や魚をのぞけば、その地(津島)にあるもので完結していました」。
食生活だけではない。「津島で暮らす親子がみな、家族のように交流を続けていました」。原発事故が奪った「生活の根幹」とはそういうことだ。未曽有の原発事故でいきなり避難を命じられ、12年を経た今なお自宅に戻ることが叶わないでいる。それがどういうことか。読んでいるあなたには想像できるだろうか。
柴田さんは言う。
「裁判を始めたとき(2015年9月提訴)から何も変わりありません。私たち夫婦は津島に戻りたいです」
その想いは高齢の父親も同じだった。ある日、二本松市内の仮設住宅から姿が消えた。捜し歩いたが見つからず、「もしや」と津島の自宅に駆けつけると、ご飯を食べていた。町に戻る町民の車に同乗させてもらったという。
「訴えを起こしている私たち全員にとって、ふるさとは津島しかないのです」
父親は避難生活の無理がたたり、原発事故発生から4年後の2015年に亡くなった。


意見陳述で「元に戻す責任から逃れるこのに終始する国と東電を正当に裁いてください」と訴えた柴田明範さん=仙台弁護士会館
【冷遇続く〝復興拠点外〟】
原発事故から12年。〝津島の子どもたち〟も大人になった。避難先でそれぞれの生活を送り、新しい人生を歩んでいる。
「時間の経過や世代の交代が、原状回復として国や東電がすべき除染をしなくて良いという理由にはならないはずです。そもそも、私たちには津島に帰還するか否かを悩み、選択する権利すら実現していないのです。私たちの世代も、子どもたちも、今の生活を自分の意思で選び取ったものではない。だから『津島に戻って生活する』という選択肢の回復を求めています」
津島地区では3月31日午前10時、「特定復興再生拠点区域」の避難指示が解除された。しかし、拠点区域に指定され、除染が実施されたのは津島全体のわずか1・6%にすぎない。柴田さんの自宅も含めた大部分が「拠点外」だ。
国は「拠点外」については「帰還の意思を示した住民の生活圏だけを除染する」との方針を決定。今も変えていない。被害者が「津島に戻るのでお願いします」と言わないと線量低減に取り組まないという不条理。津島に住んでいた誰もが「順番が逆だ。まずは汚した側がきれいにしてから『戻りますか?』と尋ねるのが筋だろう」と怒っているが、当然だ。柴田さんも法廷で次のように訴えた。
「被害者が津島に帰るか帰らないか、農業に復帰するかしないかといったことは、その家や農地を持っている人が判断すること。加害者は判断の土台を壊したのですから、それを修復するのが当然のことです。いまの世代や後の世代が農業をやらないのなら除染も必要ないという考え方は到底、受け入れられません。被害者にこそ、津島に戻り、元の生活を送るかどうかを選び取る権利がなくてはなりません」
そして、こう締めくくった。
「どうか、私たちの正当な権利の実現を認めてください。そして、元に戻す(原状回復する)責任から逃れるこのに終始する国と東電を正当に裁いてください」


(上)5月25日には、一心に続き現地進行協議が行われ、石栗裁判長らが津島の被害状況を実際に見る。3月には弁護団と原告団によるリハーサルが行われた(弁護団提供)
(下)ここに来て、東電が「現地進行協議での説明時間が欲しい」と要求。原告団長の今野秀則さんは「われわれが受けた被害を裁判官に見てもらう場。加害者である東電が現地で何を『説明』するというのか。理解できないし、はらわたが煮えくり返る」と怒りを口にした
【東電が〝前代未聞〟の要求】
菊間龍一弁護士も第10準備書面の要旨について意見陳述。
昨年6月17日に最高裁第二小法廷(菅野博之裁判長)が言い渡した判決(国の責任を否定)について「事実認定は誤り」と主張。「(国が規制権限を行使すれば)津波対策の必要性を認識した東電は、まずは先行して水密化などの措置を講じたはず」、「それによって本件原発事故の結果を回避することができたことは、株主代表訴訟判決によっても裏付けられる」と述べた。
最高裁判決が誤っているのであれば、下級審がそれに拘束されることは避けたい。だが、3月10日に言い渡された「いわき市民訴訟」の控訴審判決では、仙台高裁の小林久起裁判長は国の規制権限不行使を断罪しながら、最後の最後で「しかし…必ず本件津波に対して施設の浸水を防ぐことができ…重大事故を防ぐことができたはずであると断定することまではできない」とひっくり返して、国の責任を否定した。
「まさに『裁判官の独立』が問われている」と菊間弁護士。「『憲法及び法律』に従って、公正な判断がなされることを求めます」と訴えた。
なお5月25日には、一審(2018年9月)に続き、石栗裁判長らが津島地区を実際に歩く「現地進行協議」が行われる。「特定復興再生拠点区域」内外など10カ所を駆け足で巡り、原発事故被害の実相を裁判官に伝える。石栗裁判長は、採用にあたって「判決を実感を持って書くため」と口にしたという。
弁護団の白井劍弁護士によると、閉廷後の進行協議で東電側から思わぬ要求が出された。
「短時間でこれだけは見てもらいたいと絞り込んでスケジュールを組んだ。それなのに、ここに来て東電側が『自分たちも現場で説明をしたい。最大で5分間欲しい』と言い出した。そうなると、最大で50分間は割かれてしまう。しかも、東電側がどこでどのような説明をするのか分からない。『検討中だから答えられない』という。恐らく前代未聞。こんな馬鹿な話があるか」
当然、原告側の弁護士たちは怒り、進行協議は紛糾。結局、5月15日までに仙台高裁に説明内容を提出することになったが、それでも東電側代理人は「最大限努力するが、約束はできない」と答えるにとどまったという。
「東電の対応は一審のときから酷かったが、代理人が(岩倉正和弁護士を中心とする体制に)変わってから本当に酷くなった」と白井弁護士。原告団長の今野秀則さんも「われわれが受けた被害を裁判官に見てもらう場。加害者である東電が現地で何を『説明』するというのか。理解できないし、はらわたが煮えくり返る」と怒りをあらわにした。
なお、原告側が申請している獨協医科大学の木村真三准教授(国際疫学研究室福島分室室長、二本松市放射線専門家チームアドバイザー)に対する専門家証人尋問については、今回も採否が留保された。
(了)
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