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【原発避難者から住まいを奪うな】追い詰められ自ら命絶ったAさんを〝殺した〟のは誰か 「福島県知事が住宅無償提供続けていれば…」献花続ける有志の怒り

「避難の協同センター」事務局長の瀬戸大作さんたちが4日午後、首都圏の公園で手を合わせた。原発避難の末、2017年5月4日に50代で自ら命を絶ったAさんを偲ぶためだ。瀬戸さんたちはこの6年間、毎年この公園に足を運んでいる。「福島県知事が2017年3月末で住宅無償提供を打ち切らなければ、こんなことにはならなかった」と5人は口を揃えた。「寄り添う」と言ってはばからない内堀雅雄知事は、当事者と一度も面会しないまま切り捨てを強行。自死すら把握していない。誰がAさんを〝殺した〟のか。考えずにはいられない。 
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【切り捨てられた末の悲劇】
 半袖でも汗ばむ初夏の陽気。6年前のあの日も雨は降らず、最高気温は20℃を超えた。多くの人々が大型連休を楽しむなか、しかしその日の朝方にはAさんは帰らぬ人となっていた。
 「Aさん、来ましたよ」
 自身も郡山市から神奈川県内に母子避難した松本徳子さんが花をたむけ、水をかけた。松本さんにとって、Aさんは年齢も近く、まさに〝同志〟のような存在だった。2017年5月25日、衆議院の「東日本大震災復興特別委員会」に参考人として出席して意見を述べた際には、冒頭で「私と同じく子どもを被曝から避けるために避難をして頑張ってきた友人が、自ら命を絶ってしまった。今日は、その彼女の想いを胸に述べさせていただきます」と語っている。
 「では、黙祷しましょう」
 瀬戸さんの言葉で、駆け付けた5人が手を合わせた。静かな森に野鳥の鳴き声が響く。福島県南相馬市小高区からの避難を継続している村田弘さん(かながわ訴訟原告団長)は、Aさんが発見された場所から視線を上げ、空を仰いだ。
 「彼女は向こうでいま、どうしているのかな」とつぶやいた松本さんは、福島県の内堀雅雄知事が2017年3月末で強行した区域外避難者への住宅無償提供打ち切りに触れた。Aさんが亡くなったのは打ち切りから1カ月ほど後のこと。
 「あのとき打ち切っていなければ、絶対にこんなことにはならなかった。住まいさえ奪われなければ生きていかれるから…。内堀知事はせめて私たちと会って話を聴くべきだった」と続けた。
 村田さんは「当時、打ち切りなどさせまいとできることはやった。でも結局、押し切られてしまった。毎年ここに来ると『われわれは力がないんだな』と悔いる気持ちでいっぱいになる」と唇をかんだ。
 瀬戸さんは言った。
 「毎年来ている理由?(Aさんを)忘れないことだよね。原発避難者を取り巻く状況はますます悪くなっているから。この国は本当に人権を軽視しているんだよ」
 5人は「また来年来るからね」と口にして現場を後にした。その言葉に応えるように、鳥の鳴き声が森に響いた。

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Aさんの発見場所で手を合わせる松本さん、村田さん、瀬戸さんたち(左から)。瀬戸さんは「毎年来ている理由?(Aさんを)忘れないことだよね。原発避難者を取り巻く状況はますます悪くなっているから」と話した

【夫の無理解とWワーク】
 Aさんのことを最初に記事にさせていただいたのは2012年9月だった。SNSを通じて知り合い、インタビューを申し込むと「仕事帰りの短時間で良ければ」と快諾してくれた(当時の記事はここから読めます)。
 ダブルワークで疲れ切っているにもかかわらずインタビューに応じてくれたのは、次のような想いからだった。
 「私のように、夫の理解を得られずに苦しんでいる女性は多いと思います。声を挙げられずに悩んでいることでしょう。母子避難をしている女性たちは、そろそろ戻るべきか悩み始めているのではないでしょうか。こうやって私がお話しすることで、苦しんでいる女性の何かの役に立てばうれしいです。あなただけが苦しんでいるんじゃない、と言ってあげたい」
 Aさんは原発事故発生後の2011年8月、福島県郡山市から都内に区域外避難(いわゆる〝自主避難〟)した。夫は「マスクをしている奴は馬鹿だ」、「テレビでは安全だと言っているじゃないか」、「避難する必要なんかないんだ」と口にし、郡山に残った。結局、月に2回は避難元自宅に戻って家事をすることを条件に渋々、母子避難を認めた。
 平日は朝から夕まで派遣の事務仕事。週末は隔週で試験監督のアルバイトで生活費や教育費を稼いだ。隔週で郡山に戻るときは交通費を休む済ませるために高速バスを使った。避難に理解のない夫は東電からの賠償金もほとんど渡さず、挙句の果てには月に2回帰ってくるAさんに暴力をふるった。心身ともに疲弊していたAさんに追い打ちをかけたのが住宅無償提供の打ち切りだった。
 2012年12月のインタビューでは、Aさんは「夫が怒る気持ちも分かります。私が家族をバラバラにさせてしまったんです」と自分を責めるような言葉を口にしていた。「私が被曝に無関心だったら、私さえ放射能を気にしなかったら…」とも。やがて、Aさんから「取材に応じるのがつらくなってしまった」と申し出があった。筆者はこれまでの取材の礼と負担への詫びを伝え、心配だったが連絡をとることを控えた。
 「先日は本当に長い時間、私の脈絡のない愚痴に付き合っていただいて、どうもありがとうございました。こちらで、ほとんど避難のいきさつや、現状について等、人に話したことがなかったので、つい、堰を切ったように、たまっていた言葉が、とまらなくなってしまいました」
 メールでそう綴っていたAさんは、瀬戸さんや松本さんが支援を続けていた。筆者はインタビューを求めるばかりで何もできなかった。松本さんが現場にたむけた花束を眺めながら無力感でいっぱいになった。力になれず、申し訳ない気持ちだ。

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青空を仰いだ村田さん。「毎年ここに来ると『われわれは力がないんだな』と悔いる気持ちでいっぱいになる」と語った

【自死把握しない福島県】
 Aさんと同学年という瀬戸さんは、自身のフェイスブックに次のように綴った。
 「あの日から6年が経過した。原発事故被害者の救済どころか切り捨てられたままで、原発事故の教訓どころか原発推進に突き進む。入管法もそうだが、国連人権理事会での指導勧告は無視し続ける政府…」
 出会いは2016年だという。
 「年末に差し掛かる頃だった。相談会に切羽詰まった状態で現れた。仕事はダブルワーク、自分の物を切り詰めて子どもたちの大学の入学費を貯金していた」
 年明けから、瀬戸さんは雇用促進住宅の入居を継続できるよう交渉を続けた。「交渉先に向かう車中で、浜田省吾の『もうひとつの土曜日』を一緒に聞いた」。何とか継続入居できるようになったが、代わりに月額6万円を超える家賃を支払わなければならなくなってしまった。疲れ果てたAさんは入院。病室から瀬戸さん宛てに「入院費がかさむと、大学に通う子どもたちを退学させなければならなくなる」とメールが届いたという。
 あの日は午後に会う約束をしていた。「久し振りにファミレスでご飯を食べようと思った」と瀬戸さん。だが、久しぶりの食事は叶わなかった。「私の困窮者支援の原点がAさんです。どんなに月日が経っても、5月4日は会いにいきたいと思います」。
 「一人一人に寄り添う」とは口ばかりの福島県。県民が避難先で自死を選択しても把握すらしない。
 「避難先の都道府県や市町村から福島県に報告が来るという仕組み自体が県庁として無い。『原発避難者の死』という情報が蓄積されて整理されているということはない。『原発避難』というカテゴリーでは、仕組みがない。もちろん県の駐在職員や全国の相談窓口が何らかの形で避難者が亡くなったことを把握した場合には県庁にも報告があるが、定型化されたシステムとしてはない。自死であろうと病死であろうと独居死であろうと、死因にかかわらず把握していない」(2021年5月25日号より)
 誰がAさんを〝殺した〟のか。考えずにはいられない。
 


(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
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