【ふるさとを返せ 津島原発訴訟】「津島全体を除染しろ」「後回しにするな」ふるさと奪われた男性原告が怒りの意見陳述~仙台高裁で控訴審第5回口頭弁論
- 2023/07/22
- 17:51
原発事故による放射能汚染で今なお大部分が帰還困難区域に指定されている福島県双葉郡浪江町津島地区の住民が、国や東電に原状回復と完全賠償を求めた「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の控訴審。第5回口頭弁論が21日午後、仙台高裁101号法廷(石栗正子裁判長)で行われた。津島で和牛畜産業を営んでいた60代男性原告が意見陳述。「津島で畜産業を再開したい」、「全面除染して環境整備を」と訴えた。次回期日は9月6日、次々回は11月8日(いずれも14時半)。石栗裁判長が来年2月に退官する予定のため、判決は後任裁判長の下で言い渡されることになりそうだ。

【〝最後の晩餐〟で泣いた息子】
意見陳述したのは、南津島で和牛畜産業を営んでいた古山久夫さん。
現在は、いわき市内に開いた「ビーフジャパン古山牧場」(息子の優太さんが社長)で繁殖牛260頭、子牛140頭を抱えるまでになったが、その陰には原発事故に伴う被曝と「ふるさと剥奪」があった。
息子の優太さん(30代)は4年前、甲状腺ガンの手術を受けた。のう胞がピンポン球くらいの大きさになってしまい、甲状腺の半分を摘出した。
「原発事故後、長男は2011年7月ごろまで、南相馬市原町区にある牛舎の預託牛(約200頭)の世話をするため飯舘村の公道で車中泊をしたり、牛舎に泊まり込んだりしながら、高線量の放射能汚染のなかで生活をしていたのです」
手術の前日、優太さんは妻を誘って大好きなラーメンを一緒に食べたという。もしかしたら、もう食べることができなくなるかもしれない。最悪の場合、命まで…。優太さんにとっては、まさに〝最後の晩餐〟だったようだ。
「当時、息子には小学3年生をはじめとして3人の子どもがいました。『俺にもしものことがあったら子どもたちのことをよろしく頼む』と、泣きながらラーメンを食べたそうです」
幸い、いまのところ再発することもなく、優太さんは社長として牧場を切り盛りしている。
「孫にも、甲状腺検査でのう胞が発見されました。元気ですが孫たちの将来の健康はとても心配です」
原発事故がなければ、そんな心配などする必要がなかった。
出稼ぎしなくても良いように、と父が始めた畜産業。その父は、津島でワラビやタラノメ、キノコを採るのが好きだったという。昨年3月には、いわき市内の自宅裏山に独りで山菜採りに出かけてしまったことがあった。
「裏山を眺めているうちに津島の光景と重なり、いてもたってもいられなくなったのでしょう」。気温は5℃、父は当時89歳で足が不自由だった。日が暮れても帰らない父を警察とともに探したが見つからない。翌朝、ようやく発見した父は土手の下に転げ落ちて傷だらけだった。
津島での暮らしや山の幸を奪ったのが原発事故。金では代えられない。だから「ふるさとを返せ」なのだ。


法廷で意見陳述した古山さん。閉廷後の報告集会では「気持ちが入りすぎて原稿が読めなくなる場面もあった。国や東電には言いたいことが山ほどある。われわれ一次産業はかなり酷い風評被害を受けて大変な状況に陥っている」と怒りを口にした
【「全面除染で環境整備を」】
父も母も特別養護老人ホームに入所した。面会に行くたびに、母はこう懇願するという。
「津島に乗っけてってくれ」
古山さんは「今日は荷物がいっぱいだから駄目だ」と答えるのが精一杯だ。「哀しそうな母の顔を見ると本当に切なくなります」。
原発事故が奪った津島での暮らし。両親はもちろん、古山さんも戻りたい。しかし、現実には12年間誰も住んでいないわが家は荒れ果ててしまっている。浪江町加倉から津島に嫁いだ妻の実家も荒廃してしまった。
「津島の自宅は藪の中で近づくこともできません。12年の歳月を経て朽ち果ててしまっています。とても両親を連れて行かれる状態ではありません」
国も東電も「帰れば良いじゃないか」と平然と言う。確かに、津島地区のごくごく一部が「多くの報道陣から自宅を囲まれた」として避難指示が解除された。だが、現実は甘くない。原告団長の今野秀則さんは事前集会で次のように指摘した。
「仮に帰ったって何もできません。ご飯を食べて寝るだけ。地域のみなさんとの交流、行事、付き合いなど一切できない。何もありません。だから地域全体が除染されて地域の昔の姿を取り戻して地域社会を成り立たせないと、ふるさとは失われてしまう」
古山さんは意見陳述の最後に「いまの国と東電には、どうしても言いたいことが2つあります」と述べた。
1つは「帰還意思のある住民が希望する場合に生活圏を除染する」という国の姿勢だ。
「私たちからふるさとを奪っておいて『希望があれば除染する』というのは順番が逆。まず除染して、私たちが帰りたくなる環境を整備することが国の責任だと思います」
もう1つの憤りは「いつも津島は後回し」だ。
「国の基本的な対応は、まずは大熊町や双葉町の除染。津島の白地地区の除染は早くても2025年以降と報道されています。実際には、いつになるのかも分からない。これでは、年々高齢化する津島の住民があきらめるのを待っているとしか思えません」
そして、こう締めくくった。
「私たちの『ふるさとを取り戻したい』という願いをしっかりと受け止めて、国と東電の責任を厳しく認める判決を希望します」


(上)一審福島地裁は原状回復請求を棄却したが、「ふるさとを返せ」は当然の要求だ=片平さんかく公園
(下)改めて「ガンバロー」と拳を突き上げた原告団と弁護団。東電は相変わらず「賠償金は払いすぎている」と主張している=仙台弁護士会館
【「国は義務をすべて怠った」】
この日は、3人の代理人弁護士も「国の責任」について意見陳述した。
大塚正之弁護士は、第11準備書面について陳述。国には「原子力災害対策特別措置法」に基づき①除染技術などの開発義務②原発の危険性を近隣住民に周知させる義務③除染計画を立てる義務④避難計画を立てる義務⑤SPEEDIの結果を被災地住民に速やかに伝える義務―があるが、それらを全部怠ったために津島地区住民の損害が拡大したと述べた。
澤藤大河弁護士は国の津波対策不足について「電源車など十分な可搬式設備による津波対策があれば本件事故を防ぐことができた」、「防潮堤に比べて水密化は安価で短時間で実施可能。『防潮堤を建設するしかなかった』という被告らの主張は自然でない」などと指摘した。
嶋田久夫弁護士は地震調査研究推進本部が2002年に公表したいわゆる「長期評価」の信頼性(被告側は否定している)について、長期評価を取りまとめた島崎邦彦氏の著書「3・11 大津波の対策を邪魔した男たち」を引用しながら陳述した。
「島崎氏が指摘するような動き(国や東電からの圧力)のあったこと自体が、『長期評価』の高度な信頼性を示している」
「『長期評価』は原子力規制に取り入れるべき理学的知見であり、これに基づいて対策を取るべきであった」
閉廷後の報告集会では、5月25日に実施された現地進行協議(裁判官が実際に津島地区を訪れる、いわゆる現地検証)について、山田勝彦弁護士が報告した。
山田弁護士は「非常に時間がタイトだった。裁判官は当初、時間内に終わるのかイライラしている様子だったが、徐々に姿勢が変わっていった。やっぱり現場を見ると変わる。一方、東電も現地で説明したが、賠償額など現地で説明する必要のない内容ばかり。原告側の説明時間を削るのが目的だったのだろう。それも裁判所には伝わったと思う」と振り返った。
第6回口頭弁論は9月6日14時半、同じ101号法廷で行われる。
(了)

【〝最後の晩餐〟で泣いた息子】
意見陳述したのは、南津島で和牛畜産業を営んでいた古山久夫さん。
現在は、いわき市内に開いた「ビーフジャパン古山牧場」(息子の優太さんが社長)で繁殖牛260頭、子牛140頭を抱えるまでになったが、その陰には原発事故に伴う被曝と「ふるさと剥奪」があった。
息子の優太さん(30代)は4年前、甲状腺ガンの手術を受けた。のう胞がピンポン球くらいの大きさになってしまい、甲状腺の半分を摘出した。
「原発事故後、長男は2011年7月ごろまで、南相馬市原町区にある牛舎の預託牛(約200頭)の世話をするため飯舘村の公道で車中泊をしたり、牛舎に泊まり込んだりしながら、高線量の放射能汚染のなかで生活をしていたのです」
手術の前日、優太さんは妻を誘って大好きなラーメンを一緒に食べたという。もしかしたら、もう食べることができなくなるかもしれない。最悪の場合、命まで…。優太さんにとっては、まさに〝最後の晩餐〟だったようだ。
「当時、息子には小学3年生をはじめとして3人の子どもがいました。『俺にもしものことがあったら子どもたちのことをよろしく頼む』と、泣きながらラーメンを食べたそうです」
幸い、いまのところ再発することもなく、優太さんは社長として牧場を切り盛りしている。
「孫にも、甲状腺検査でのう胞が発見されました。元気ですが孫たちの将来の健康はとても心配です」
原発事故がなければ、そんな心配などする必要がなかった。
出稼ぎしなくても良いように、と父が始めた畜産業。その父は、津島でワラビやタラノメ、キノコを採るのが好きだったという。昨年3月には、いわき市内の自宅裏山に独りで山菜採りに出かけてしまったことがあった。
「裏山を眺めているうちに津島の光景と重なり、いてもたってもいられなくなったのでしょう」。気温は5℃、父は当時89歳で足が不自由だった。日が暮れても帰らない父を警察とともに探したが見つからない。翌朝、ようやく発見した父は土手の下に転げ落ちて傷だらけだった。
津島での暮らしや山の幸を奪ったのが原発事故。金では代えられない。だから「ふるさとを返せ」なのだ。


法廷で意見陳述した古山さん。閉廷後の報告集会では「気持ちが入りすぎて原稿が読めなくなる場面もあった。国や東電には言いたいことが山ほどある。われわれ一次産業はかなり酷い風評被害を受けて大変な状況に陥っている」と怒りを口にした
【「全面除染で環境整備を」】
父も母も特別養護老人ホームに入所した。面会に行くたびに、母はこう懇願するという。
「津島に乗っけてってくれ」
古山さんは「今日は荷物がいっぱいだから駄目だ」と答えるのが精一杯だ。「哀しそうな母の顔を見ると本当に切なくなります」。
原発事故が奪った津島での暮らし。両親はもちろん、古山さんも戻りたい。しかし、現実には12年間誰も住んでいないわが家は荒れ果ててしまっている。浪江町加倉から津島に嫁いだ妻の実家も荒廃してしまった。
「津島の自宅は藪の中で近づくこともできません。12年の歳月を経て朽ち果ててしまっています。とても両親を連れて行かれる状態ではありません」
国も東電も「帰れば良いじゃないか」と平然と言う。確かに、津島地区のごくごく一部が「多くの報道陣から自宅を囲まれた」として避難指示が解除された。だが、現実は甘くない。原告団長の今野秀則さんは事前集会で次のように指摘した。
「仮に帰ったって何もできません。ご飯を食べて寝るだけ。地域のみなさんとの交流、行事、付き合いなど一切できない。何もありません。だから地域全体が除染されて地域の昔の姿を取り戻して地域社会を成り立たせないと、ふるさとは失われてしまう」
古山さんは意見陳述の最後に「いまの国と東電には、どうしても言いたいことが2つあります」と述べた。
1つは「帰還意思のある住民が希望する場合に生活圏を除染する」という国の姿勢だ。
「私たちからふるさとを奪っておいて『希望があれば除染する』というのは順番が逆。まず除染して、私たちが帰りたくなる環境を整備することが国の責任だと思います」
もう1つの憤りは「いつも津島は後回し」だ。
「国の基本的な対応は、まずは大熊町や双葉町の除染。津島の白地地区の除染は早くても2025年以降と報道されています。実際には、いつになるのかも分からない。これでは、年々高齢化する津島の住民があきらめるのを待っているとしか思えません」
そして、こう締めくくった。
「私たちの『ふるさとを取り戻したい』という願いをしっかりと受け止めて、国と東電の責任を厳しく認める判決を希望します」


(上)一審福島地裁は原状回復請求を棄却したが、「ふるさとを返せ」は当然の要求だ=片平さんかく公園
(下)改めて「ガンバロー」と拳を突き上げた原告団と弁護団。東電は相変わらず「賠償金は払いすぎている」と主張している=仙台弁護士会館
【「国は義務をすべて怠った」】
この日は、3人の代理人弁護士も「国の責任」について意見陳述した。
大塚正之弁護士は、第11準備書面について陳述。国には「原子力災害対策特別措置法」に基づき①除染技術などの開発義務②原発の危険性を近隣住民に周知させる義務③除染計画を立てる義務④避難計画を立てる義務⑤SPEEDIの結果を被災地住民に速やかに伝える義務―があるが、それらを全部怠ったために津島地区住民の損害が拡大したと述べた。
澤藤大河弁護士は国の津波対策不足について「電源車など十分な可搬式設備による津波対策があれば本件事故を防ぐことができた」、「防潮堤に比べて水密化は安価で短時間で実施可能。『防潮堤を建設するしかなかった』という被告らの主張は自然でない」などと指摘した。
嶋田久夫弁護士は地震調査研究推進本部が2002年に公表したいわゆる「長期評価」の信頼性(被告側は否定している)について、長期評価を取りまとめた島崎邦彦氏の著書「3・11 大津波の対策を邪魔した男たち」を引用しながら陳述した。
「島崎氏が指摘するような動き(国や東電からの圧力)のあったこと自体が、『長期評価』の高度な信頼性を示している」
「『長期評価』は原子力規制に取り入れるべき理学的知見であり、これに基づいて対策を取るべきであった」
閉廷後の報告集会では、5月25日に実施された現地進行協議(裁判官が実際に津島地区を訪れる、いわゆる現地検証)について、山田勝彦弁護士が報告した。
山田弁護士は「非常に時間がタイトだった。裁判官は当初、時間内に終わるのかイライラしている様子だったが、徐々に姿勢が変わっていった。やっぱり現場を見ると変わる。一方、東電も現地で説明したが、賠償額など現地で説明する必要のない内容ばかり。原告側の説明時間を削るのが目的だったのだろう。それも裁判所には伝わったと思う」と振り返った。
第6回口頭弁論は9月6日14時半、同じ101号法廷で行われる。
(了)
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