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母の涙。「早く安心できる日々を」。避難に対する同僚からの暴言、慣れぬ土地で小学校に通えなくなった息子。そして住宅打ち切り~福島原発かながわ訴訟

「福島原発かながわ訴訟」の第18回口頭弁論が18日午後、横浜地裁101号法廷(相澤哲裁判長)で開かれ、福島県いわき市から息子と避難した30代の母親が意見陳述。「早く、安心して毎日を過ごせるようになりたい」と訴えた。前の職場で浴びた冷たい視線と暴言。小学校に通えなくなってしまった息子。原発事故さえ起きなければ、被曝リスクも避難の必要性も無かった。そして、避難者切り捨てとも言える住宅の無償提供打ち切り。母親の怒りと不安が法廷に響いた。次回期日は2017年01月25日14時。来春には名倉繁樹氏(旧原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課審査官)に対する証人尋問が予定されている。


【「逃げる所がある人はいいわね」】
 それまで凛として、やや早口で原稿を読み上げていた母親だったが、悔し涙をこらえることが出来なかった。
 「避難するまで働いていた病院の職員の前で謝罪をさせられました」
 2011年3月末の事。3月16日から横浜の実家で息子との避難生活が始まったが、退職の手続きをするためにいわき市に戻った。看護師として勤務していた病院では医師の6割が避難する異常事態。ある医師からは「あなたも避難した方が良い」と言われた。その医師は家族を新潟県に避難させた。入院患者も置いてけぼり。退院がままならない患者もいた。中には、避難するのに〝邪魔〟になった高齢者を病院の前に置いていってしまったケースも。皆が見えない放射性物質との闘いに必死になり「いわき市はゴーストタウンになった」と振り返る。人手不足に陥った病院では、わが子と避難した元同僚への冷たい視線と心無い言葉が飛び交った。
 「ほかに子どもがいる人だっているのよ」
 「逃げる所がある人はいいわね」
 ほんの2週間前まで共に頑張っていた同僚に話しかけても無視された。原発事故は、働きやすかった職場環境や仲の良い同僚をも奪ったのだ。「原発事故のせいで、いろいろな想いをさせられました。本当に許せません」。
 看護師として、放射線の危険性はよく分かっていた。レントゲン撮影など、放射線が関係する検査では鉛の入った防護服を着用した。常日頃、被曝を出来るだけ避けるように教育されてきた。「原発事故後の自宅周辺の放射線量は、注意を要するレントゲン室よりも高かったのです」。
 とにかくわが子を守りたい。必死だった。息子は屋外には出さず、換気扇は止めた。給水所で配られた水は与えなかった。勤務先の病院では40歳以下を対象に安定ヨウ素剤が用意されたが「家族の分が無いのに私1人だけ服用するわけにはいかない」と断った。「息子だけでも横浜の実家に避難させよう」。そう考えたのも当然の事だった。


法廷で意見陳述した母親は、福島県いわき市から小学校6年生の息子と神奈川県内に避難中。「早く、安心して毎日を過ごせるようになりたい」と訴えた=横浜市中区・産業貿易センタービル

【「早く安心できる日々を」】
 原発事故に苦しめられたのは、息子も同じだった。
 幼稚園の卒園式を4日後に控えたあの日、大地が揺れた。そして原発事故。避難先の横浜市内の小学校に入学したが、なかなか友達が出来なかった。そして2年生の時に医師から発達障害だと診断される。無口な息子はからかいの対象となった。テストの成績が悪いと「馬鹿」などの言葉を浴びた。4年生になると、授業中に同級生に顔を殴られて怪我をした。もはや限界だった。息子は小学校に通えなくなった。
 「いろんな事が積もり積もったんでしょうね。確かに息子は今、話題になっているような『放射能』、『避難者』という意味でのいじめに直接、遭ったわけではありません。でも、私はやっぱり原発事故が無ければいじめられる事も無かっただろうと考えます。幼稚園で一緒だった友達と同じ小学校に通い、発達障害があったとしても楽しく過ごせたはずです」
 夫をいわき市に残しての母子避難。横浜市内の病院で働いたものの、子育てをしながらフルタイムの勤務は難しい。昨年からパートタイム労働に切り替えたが、それでも欠勤が増えてしまい、今年に入って退職した。避難に理解のある夫は昨秋から横浜に生活の軸足を置きながら、いわき市の家業で必要がある時には戻っている。ようやく3人での生活が叶ったが、夫の横浜での仕事がなかなか見つからないのが不安の種だ。
 そこに追い打ちをかけるような住宅打ち切り。福島県は、政府の避難指示の出ていない地域からの〝自主避難者〟に対する住宅の無償提供を、2017年3月末で打ち切る。多くの避難者の要望を受けても、内堀雅雄知事は方針を変えていない。
 「今のところ、福島に帰る事は考えていません。住んでいた地域の放射線量は昔よりも高いままです。息子の健康被害が心配です。ようやく少しずつ学校に通えるようになってきたのに、環境を変える事にも不安があります。でも…」と母親。「住宅打ち切りで、現在の民間借り上げ住宅からは退去するよう家主からは言われています。来春以降の住まいも決まっておらず、転居費用などお金の面でも心配です」と訴えた。
 賠償金も含め「原発避難者が手厚い支援を受けている」というのは世間の大いなる誤解だ。特に国や東電が〝自主避難者〟と一方的に線引きした人々は、貧困と被曝のはざまで辛うじて生き抜いてきたケースも少なくない。
 「早く、安心して毎日を過ごせるようになりたいです」
 母親の言葉が法廷に響いた。願うのはただ一つ。被曝リスクも経済的困窮も無い、落ち着いた生活だ。それを望む事はわがままだろうか。


母親の意見陳述には「謝罪」「嫌味」という言葉が並んでいた。原発事故が起きた事で、大人も子どもも周囲の心無い言動に傷つけられてきた

【来年4月にも名倉氏への尋問】
 この日の口頭弁論では、弁護団の山野健一郎弁護士も意見陳述。福島市や郡山市、本宮市、須賀川市、いわき市など、いわゆる〝避難指示区域外〟から避難した原告の「避難の合理性」について改めて主張した。
 山野弁護士は、「放射線被曝による健康被害に対し、原告らが不安を抱くのはごく当然の感情だ」、「国や東電の主張する年20mSvの放射線量は、とうてい『安全』とは断言できない」、「福島県内で実施されている除染は『気休め』にすぎず、避難先からの帰還を断念せざるを得ないのも当然の判断だ」などと主張。「区域外避難者である原告らについても、避難や避難継続の合理性は十分に認められる。避難指示区域内からの避難者と同等かつ十分な賠償がなされるべきだ」と訴えた。
 また、原告団事務局長の黒澤知弘弁護士は「少なからず原告が亡くなっており、皆さん時間が無い。速やかな進行をお願いしたい」と求めた。原告側は名倉繁樹氏(旧原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課審査官)の証人尋問を要求。裁判所も採用したが「原発再稼働業務に従事していて多忙」との理由で、実際に法廷に立てるのは来年4月25日の期日になるという。
 名倉氏への証人尋問では、大地震による津波と電源喪失の予見可能性について、どういう認識を持っていたか質すことになる。黒澤弁護士は「遅くても年内実施をお願いしたい」としたうえで、筒井哲郎氏(元技術者、シンクタンク「原子力市民委員会」)に対する早期の証人尋問も要求しているが、実施は決まっていない。原告代理人弁護士も立ち会っての福島第一原発の現場検証も求めている。黒澤弁護士は「国と東電はのんびりやっている」と怒りを口にする。
 原告団の村田弘団長(福島県南相馬市から横浜市に避難中)は、閉廷後の報告集会で「避難者は慣れない裁判という過酷な事を強いられ、本当に大変だ」と口にした。訴訟で完全賠償を求める一方、住宅打ち切り問題では国や福島県との交渉も続いている。住宅無償提供打ち切りが強行された場合に備え、避難先の神奈川県にも支援策を求めている。この間、安息の時間はどれだけあっただろうか。避難者に心無い言葉を浴びせる前に、私たちが考え、行動しなければならない事はある。原発が爆発してから6度目の冬が間もなくやって来る。



(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
大手メディアが無視する「汚染」、「被曝」、「避難」を追い続けています。

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