【自主避難者から住まいを奪うな】「直訴します!」。避難者の直撃を無視した内堀知事、県庁職員が身体を張ってガード。改めて打ち切り撤回も面会も拒否
- 2016/11/29
- 05:33
政府の避難指示が出ていない地域から避難した〝自主避難者〟に対する住宅の無償提供が4カ月後に打ち切られる問題で、東京や神奈川の避難者たちが28日、内堀雅雄知事に打ち切り撤回を求める「直訴状」を手渡そうと福島県庁に集まった。定例会見に臨む内堀知事を直撃したが、知事は完全無視。県庁職員が必死に阻んだため直接、手渡すことは出来なかった。避難者たちは抗議行動を12月2日まで連日、展開する一方、6日に始まる福島県議会に住宅の無償提供継続を求める請願を提出する予定。4日には福島市内で大規模な集会とデモ行進が計画されている。
【職員に守られて〝逃げた〟知事】
「完全無視」だった。
午前10時。記者クラブとの定例会見に臨む内堀知事に対し、福島県庁2階に集った避難者たちから「直訴します!」と声がかかった。避難者の手に握られているのは「直訴」と書かれた白い封筒。内堀知事はそれらに一瞥もくれずに、足早に会見場に入って行った。避難者の1人が、人垣のすき間から何とかして直訴状を手渡そうと試みたが、県庁職員が身を挺して阻止した。「大きな声を出さないでください」と〝警告〟の言葉が飛び交う。知事室前の廊下は騒然としたまま、定例会見は始まった。
今月22日朝に起きた津波を伴う地震や県職員の不祥事に関する質問の後、毎日新聞の記者から「これだけ自主避難者が詰めかけても面会しないのか」と質問された内堀知事は、いつものように淡々と答えた。
「今後も県全体として丁寧に対応していく」
「ご意見やご要望は、戸別訪問や交流会の場で伺う」
「イエス」、「ノー」では答えない。いつも通りの回りくどい表現ながら、改めてきっぱりと避難者との面会を拒否した。だが「県全体として丁寧に対応する」とは具体的にどういう対応を指すのか、全く分からない。河北新報の記者も同様の質問をぶつけたが「これからも、担当部局がきめ細かく対応する」と答えるにとどまった。
廊下からは、依然として避難者らの怒りの声が会見場にまで伝わっていた。定例会見は15分ほどで終了し、内堀知事は再び県庁職員らの〝鉄壁のディフェンス〟に守られながら、避難者に背を向けたまま逃げるように会見場を後にした。その姿に、事前に県外避難者の意向調査を十分にしないまま〝切り捨て施策〟を強引に国と決めてしまった福島県の姿勢が表れていた。
私も内堀知事の傲慢な態度を会見で質したかった。しかし、会見への参加は認められたものの、質問や写真撮影については記者クラブ幹事社、県庁広報課の双方から禁じられた。「前例が無い」との理由だった。先の2社以外に、内堀知事の姿勢を質した記者はいなかった。



(上)自主避難者たちの「直訴状」。生活拠点課幹部が代わりに受け取ったが、内堀知事が読むかどうかは分からない
(中)避難者たちは「直訴状」を内堀知事に直接、手渡そうと知事室に向かったが、県庁職員が必死に阻止した
(下)住宅の無償提供継続を訴えた県外避難者の手紙。被曝リスクからわが子を守ろうと避難した想いなどが綴られている
【「避難を要する状況に無い」】
業を煮やしての行動だった。
避難者たちはこれまでの県庁職員との交渉の中で、何度も内堀知事との直接対話を求めて来た。しかし、その度に生活拠点課幹部は「担当部局であるわれわれが対応する」、「知事には毎回、きちんと報告している」などと要求を拒否。2年間の家賃補助を軸とした「新たな支援策」に移行するべく、予定通り来年3月末の打ち切りを強行する姿勢を変えていない。
この日も、知事室前の廊下に集まった避難者や支援者を前に、生活拠点課の新妻勝幸主幹が「担当課で(直訴状を)受け取らせていただいて、中身を確認した上で知事に報告させていただくということでお願いしたい」と繰り返した。当然、納得できない避難者からは「きちんと対応してくれないから、こうなるんじゃないですか」、「場を設けるって、あと何年待てば良いのですか」などと怒りの声が上がった。「私たちの後ろには多くの避難者がいるんです。内堀知事に直接、手紙をお渡ししたい」と訴えた女性もいたが、願いは聞き入れられなかった。
新妻主幹はさらに「こういう行動を起こされると困ります」とも発言したが、そもそも、このような状況を作り出した張本人は誰か。被曝リスクの存在を懸念する避難者の想いに耳を傾ける事無く「除染などで生活環境は改善された」などと一方的に住宅の無償提供終了を決めたのは内堀知事ではないのか。支援者の女性は「新妻さんは私たちを説得しないで、内堀知事を説得して欲しい」と訴えた。声を上げ続ける避難者たちを、守衛や他の県庁職員らが取り囲むように威圧していた。まるで〝クレーマー集団〟のような扱い。昨年12月には京都の避難者たちが「直訴状」を届けようと知事室を訪れたが、その時と同様に、今回も内堀知事に直接、手渡すことは叶わなかった。
結局、避難者を代表した2人が「直訴状」のうち2通を廊下で代読。残りも含めて新妻主幹に託す事でやむなく手を打った。手紙には「どうか、1人でも多くの県民をお守りください」などと住宅の無償提供を求める言葉が並んだ。新妻主幹は内堀知事にへの報告を約束したが、本当に知事が目を通すか分からない。
避難者を前に、新妻主幹はこう言い放った。
「避難指示区域外は、もはや避難を要する状況に無いです」
これが福島県庁の本音だ。だから県外避難者を躊躇せず切り捨てられるのだ。



(上)避難者たちは午前8時前から福島県庁の入り口に立ち、出勤してくる職員らに窮状を訴えた。時折、冷たい風雨が吹き付けた
(中)「内堀知事は被害者の声をきけ!」のプラカード。しかし、この日も避難者の声は知事に〝無視〟された
(下)ずっと「追い出さないで!」と訴えてきた避難者たち。しかし、福島県は打ち切り強行の姿勢を変えていない
【「被害者を切り捨てるな」】
午前8時前。福島県庁入り口に立った避難者たちは、出勤してくる職員らに窮状を訴えた。時折、冷たい風雨が吹き付ける。「内堀知事は被害者の声をきけ!」、「追い出さないで!」、「被害者を切り捨てるな」、「一人も路頭に迷わせないで!」。白い息を吐き、傘もささずに声を上げた。
県政記者クラブで開かれた記者会見では、福島県田村市から都内に避難した熊本美彌子さんは「周囲から『週末になると家を探して疲れ果てている』という声も聴く。私たち避難者は追い詰められた状況で『出て行け』と言われているんです」と訴えた。さらに「住宅困窮、という事だけで避難者を判断しないで欲しい」とも。原発事故が無ければ避難する必要も住宅支援を求める事も無かった。「原発避難者=住宅困窮者」という構図だけでは原発事故の本質を見誤らせる。
いわき市から都内に避難した鴨下祐也さん(ひなん生活を守る会代表)は「転居には転校が伴う。せっかく築き上げてきた人間関係が壊れてしまい、転校先でいじめに遭う危険性もはらんでいる」と指摘。「内堀知事は後ろめたいところがあるから、胸を張って打ち切りが正しいと言えないのだろう。本当に避難した子どもたちのいじめを心配しているのなら、打ち切り撤回を」と求めた。郡山市から神奈川県に避難した松本徳子さんも「原発事故は収束していない。勝手に線引きされて郡山市は避難指示区域にならなかったが、娘の通っていた中学校の土壌は40万Bq/㎡を超す汚染が続いている」と避難の合理性を訴えた。
誰もが署名集めや国、福島県との交渉に何度も参加し、そのたびに悔しい想いをしてきた。なぜ、被害者がここまで動かないといけないのか。なぜ、ここまで訴えても聞き入れられないのか。会見では、避難者から「顔をさらし、記者会見に出るような事は誰だって避けたい」、「当事者が声を上げないと見過ごされてしまう」などと苦しい胸の内も聞かれた。「直訴状」をしたためた避難者からも「なるべく個人が特定されないようにして欲しい」という声があったという。周囲から有形無形の圧力を受けながら、避難者たちは当然の権利主張すら難しいのが実情だ。
この日は朝から生活拠点課の職員らが県庁庁舎内に立ち、抗議行動に参加した避難者や支援者らを最後まで〝監視〟し続けた。福島県庁が守ろうとしているものは何なのか。
原発事故に追われ、今度は避難先の住まいを追われようとしている避難者たち。必死の闘いが続く。
(了)
【職員に守られて〝逃げた〟知事】
「完全無視」だった。
午前10時。記者クラブとの定例会見に臨む内堀知事に対し、福島県庁2階に集った避難者たちから「直訴します!」と声がかかった。避難者の手に握られているのは「直訴」と書かれた白い封筒。内堀知事はそれらに一瞥もくれずに、足早に会見場に入って行った。避難者の1人が、人垣のすき間から何とかして直訴状を手渡そうと試みたが、県庁職員が身を挺して阻止した。「大きな声を出さないでください」と〝警告〟の言葉が飛び交う。知事室前の廊下は騒然としたまま、定例会見は始まった。
今月22日朝に起きた津波を伴う地震や県職員の不祥事に関する質問の後、毎日新聞の記者から「これだけ自主避難者が詰めかけても面会しないのか」と質問された内堀知事は、いつものように淡々と答えた。
「今後も県全体として丁寧に対応していく」
「ご意見やご要望は、戸別訪問や交流会の場で伺う」
「イエス」、「ノー」では答えない。いつも通りの回りくどい表現ながら、改めてきっぱりと避難者との面会を拒否した。だが「県全体として丁寧に対応する」とは具体的にどういう対応を指すのか、全く分からない。河北新報の記者も同様の質問をぶつけたが「これからも、担当部局がきめ細かく対応する」と答えるにとどまった。
廊下からは、依然として避難者らの怒りの声が会見場にまで伝わっていた。定例会見は15分ほどで終了し、内堀知事は再び県庁職員らの〝鉄壁のディフェンス〟に守られながら、避難者に背を向けたまま逃げるように会見場を後にした。その姿に、事前に県外避難者の意向調査を十分にしないまま〝切り捨て施策〟を強引に国と決めてしまった福島県の姿勢が表れていた。
私も内堀知事の傲慢な態度を会見で質したかった。しかし、会見への参加は認められたものの、質問や写真撮影については記者クラブ幹事社、県庁広報課の双方から禁じられた。「前例が無い」との理由だった。先の2社以外に、内堀知事の姿勢を質した記者はいなかった。



(上)自主避難者たちの「直訴状」。生活拠点課幹部が代わりに受け取ったが、内堀知事が読むかどうかは分からない
(中)避難者たちは「直訴状」を内堀知事に直接、手渡そうと知事室に向かったが、県庁職員が必死に阻止した
(下)住宅の無償提供継続を訴えた県外避難者の手紙。被曝リスクからわが子を守ろうと避難した想いなどが綴られている
【「避難を要する状況に無い」】
業を煮やしての行動だった。
避難者たちはこれまでの県庁職員との交渉の中で、何度も内堀知事との直接対話を求めて来た。しかし、その度に生活拠点課幹部は「担当部局であるわれわれが対応する」、「知事には毎回、きちんと報告している」などと要求を拒否。2年間の家賃補助を軸とした「新たな支援策」に移行するべく、予定通り来年3月末の打ち切りを強行する姿勢を変えていない。
この日も、知事室前の廊下に集まった避難者や支援者を前に、生活拠点課の新妻勝幸主幹が「担当課で(直訴状を)受け取らせていただいて、中身を確認した上で知事に報告させていただくということでお願いしたい」と繰り返した。当然、納得できない避難者からは「きちんと対応してくれないから、こうなるんじゃないですか」、「場を設けるって、あと何年待てば良いのですか」などと怒りの声が上がった。「私たちの後ろには多くの避難者がいるんです。内堀知事に直接、手紙をお渡ししたい」と訴えた女性もいたが、願いは聞き入れられなかった。
新妻主幹はさらに「こういう行動を起こされると困ります」とも発言したが、そもそも、このような状況を作り出した張本人は誰か。被曝リスクの存在を懸念する避難者の想いに耳を傾ける事無く「除染などで生活環境は改善された」などと一方的に住宅の無償提供終了を決めたのは内堀知事ではないのか。支援者の女性は「新妻さんは私たちを説得しないで、内堀知事を説得して欲しい」と訴えた。声を上げ続ける避難者たちを、守衛や他の県庁職員らが取り囲むように威圧していた。まるで〝クレーマー集団〟のような扱い。昨年12月には京都の避難者たちが「直訴状」を届けようと知事室を訪れたが、その時と同様に、今回も内堀知事に直接、手渡すことは叶わなかった。
結局、避難者を代表した2人が「直訴状」のうち2通を廊下で代読。残りも含めて新妻主幹に託す事でやむなく手を打った。手紙には「どうか、1人でも多くの県民をお守りください」などと住宅の無償提供を求める言葉が並んだ。新妻主幹は内堀知事にへの報告を約束したが、本当に知事が目を通すか分からない。
避難者を前に、新妻主幹はこう言い放った。
「避難指示区域外は、もはや避難を要する状況に無いです」
これが福島県庁の本音だ。だから県外避難者を躊躇せず切り捨てられるのだ。



(上)避難者たちは午前8時前から福島県庁の入り口に立ち、出勤してくる職員らに窮状を訴えた。時折、冷たい風雨が吹き付けた
(中)「内堀知事は被害者の声をきけ!」のプラカード。しかし、この日も避難者の声は知事に〝無視〟された
(下)ずっと「追い出さないで!」と訴えてきた避難者たち。しかし、福島県は打ち切り強行の姿勢を変えていない
【「被害者を切り捨てるな」】
午前8時前。福島県庁入り口に立った避難者たちは、出勤してくる職員らに窮状を訴えた。時折、冷たい風雨が吹き付ける。「内堀知事は被害者の声をきけ!」、「追い出さないで!」、「被害者を切り捨てるな」、「一人も路頭に迷わせないで!」。白い息を吐き、傘もささずに声を上げた。
県政記者クラブで開かれた記者会見では、福島県田村市から都内に避難した熊本美彌子さんは「周囲から『週末になると家を探して疲れ果てている』という声も聴く。私たち避難者は追い詰められた状況で『出て行け』と言われているんです」と訴えた。さらに「住宅困窮、という事だけで避難者を判断しないで欲しい」とも。原発事故が無ければ避難する必要も住宅支援を求める事も無かった。「原発避難者=住宅困窮者」という構図だけでは原発事故の本質を見誤らせる。
いわき市から都内に避難した鴨下祐也さん(ひなん生活を守る会代表)は「転居には転校が伴う。せっかく築き上げてきた人間関係が壊れてしまい、転校先でいじめに遭う危険性もはらんでいる」と指摘。「内堀知事は後ろめたいところがあるから、胸を張って打ち切りが正しいと言えないのだろう。本当に避難した子どもたちのいじめを心配しているのなら、打ち切り撤回を」と求めた。郡山市から神奈川県に避難した松本徳子さんも「原発事故は収束していない。勝手に線引きされて郡山市は避難指示区域にならなかったが、娘の通っていた中学校の土壌は40万Bq/㎡を超す汚染が続いている」と避難の合理性を訴えた。
誰もが署名集めや国、福島県との交渉に何度も参加し、そのたびに悔しい想いをしてきた。なぜ、被害者がここまで動かないといけないのか。なぜ、ここまで訴えても聞き入れられないのか。会見では、避難者から「顔をさらし、記者会見に出るような事は誰だって避けたい」、「当事者が声を上げないと見過ごされてしまう」などと苦しい胸の内も聞かれた。「直訴状」をしたためた避難者からも「なるべく個人が特定されないようにして欲しい」という声があったという。周囲から有形無形の圧力を受けながら、避難者たちは当然の権利主張すら難しいのが実情だ。
この日は朝から生活拠点課の職員らが県庁庁舎内に立ち、抗議行動に参加した避難者や支援者らを最後まで〝監視〟し続けた。福島県庁が守ろうとしているものは何なのか。
原発事故に追われ、今度は避難先の住まいを追われようとしている避難者たち。必死の闘いが続く。
(了)
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