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【69カ月目の飯舘村はいま】「国のお骨折りで避難指示解除…」。東京・渋谷の石碑除幕式に見えた菅野村長の本音。今村復興大臣も「故郷に帰ろう」「ハチ公が待ってる」連呼

若者でにぎわう渋谷の街に「村に帰ろう」の言葉が響いた。東京・渋谷駅からほど近い「公園通り」で2日午前、福島県飯舘村のシンボルである「までいライフ」と刻まれた石碑の除幕式が開かれ、今村雅弘復興大臣や菅野典雄村長が出席した。共に渋谷のハチ公像を引き合いに出し、村民に帰村を呼びかける。そこには、いまだ被曝リスクの存在する村へ戻るべきかためらう村民の苦悩など存在しない。大臣に深々と頭を下げ、忠誠を誓うかのように固い握手をする菅野村長は村民と国、どちらを向いているのか。なお、脚本家・倉本聰氏も出席が予定されていたが、「体調不良」を理由に欠席した。


【「来春はハチ公像でセレモニー」】
 村長選挙で6選を果たし、避難指示解除へ邁進できる事が余程うれしいのか。菅野典雄村長は、除幕式に列席した今村雅弘復興大臣を前に〝従順な子犬〟ぶりを演じてみせた。
 「来年の3月31日、国のお骨折りで避難指示が解除されます」
 今年6月の村議会では「国や東電の言いなりになって村政を行ってきた事は一度も無い」と気色ばんでみせた菅野村長だったが、今村復興大臣と固い握手をし深々と頭を下げる様子はやはり、村民から見れば国の意向に従っていると見えるだろう。
 帰還困難区域に指定された長泥地区を除く避難指示解除の時期を巡っては、依然として空間線量が低くない事、帰還したとしても除染土壌の入ったフレコンバッグが生活圏内に山のように積まれている事などを理由に村民から疑問の声が上がっている。そもそも、村民の意向を十分に聴かないまま村役場と村議会とで国に避難指示解除を要請した事に対して、怒っている村民も少なくない。10月16日に実施された村長選挙で581票しか差がつかなかったのは、村長の強引な手法への批判の表れというのが大方の村民の見方だ。しかし、勝てば官軍。3カ月余後に迫った避難指示解除に向けて走るだけだ。
 「なってしまった事は仕方ない。しっかりと前を向いて復興して行かなければなりません。村民が村に出来るだけ早く帰れるようにしていきます」
 2013年6月には、やはり「渋谷公園通商店街振興組合」から、村長自身が理事長を務める特別養護老人ホーム「いいたてホーム」に渋谷のシンボル・忠犬ハチ公像のオブジェが贈られている。除幕後の挨拶で、菅野村長はハチ公像について「避難指示が解除される3月31日には、ぜひ村役場前に置いて村民を待つセレモニーを行いたい」とも語った。そんな事に利用されるハチ公もまた、たいそう迷惑だろう。






(上)除幕式に参加した今村復興大臣(右)と菅野村長。共に「故郷に帰ろう」を連呼した
(中)石碑の周囲に、福島県立相馬農業高校の生徒が育てたシクラメンを記念植樹
(下)「復興推進」イベントに、多くの取材陣が詰めかけた。菅野村長は「旧知の記者が何人もいる」とご機嫌だった

【「みんなで村に帰ろうよ」】
 SPに守られながら、今村大臣もご機嫌だった。
 「とかく風化しがちだが、日本一若者の多い渋谷でこういうセレモニーが開かれる。日本という国はいいなと思います」
 そこには避難先で自死を選んだ村民や、解除後に村に戻るべきか否かで苦しむ村民の苦悩など無い。「私も犬が大好きでして…」と笑顔で話す今村大臣は、こう言って村民に村への帰還を促した。
 「故郷に早く戻ろうよ。国も、村民の皆さんが戻れるように頑張っています」
 商店街が設置する小さな石碑のために、わざわざ足を運んだ今村大臣。そこに「復興」、「帰還促進」を重視する安倍政権の姿勢が垣間見える。内閣府や復興庁の官僚は「2020年の東京五輪は、国の内外に福島の復興をアピールするいい機会」と言ってはばからない。
 もちろん、村民だって村に帰りたい気持ちは強い。11月に福島市内の仮設住宅で開かれた「収穫祭」では、涙を浮かべながら「佐須の味噌」を味わう村民がいた。帰りたい。しかし一方で、今年10月の測定でも、草野行政区のサクラシメジから5万2800Bq/kg、小宮行政区のコウタケに至っては7万6100Bq/kgもの放射性セシウムが検出されているのも現実。本当に被曝リスクを考慮しなくて良いのか。特に子や孫の健康被害を心配して帰村をためらうのは当然だ。しかし、今村大臣はそんな葛藤を知ってか知らずか、こんな言葉で「飯舘村の復興」をアピールしてみせた。
 「みんなで村に帰ろうよ。ハチ公が待ってるよ、とアピールしていきたい」
 そもそもなぜ、村民が村から避難しなければならなかったか。原発事故の責任を国も東電も負ったのか。そんな事からは全て目を逸らして帰村を呼び掛けるあたりに、反省の無さがうかがえる。






(上)「みんなで村に帰ろうよ、ハチ公が待ってるよ」と語った今村大臣
(中)来年3月末の避難指示解除セレモニーに、村に寄贈されたハチ公像のオブジェを活用する意向を示した菅野村長
(下)今村大臣と固い握手を交わす菅野村長。村民では無く国に忠誠を誓うかのようだ

【原発事故は「原子力災害」】
 石碑は、原発事故を風化させまいと「渋谷公園通商店街振興組合」(小松原一雄理事長)が企画。村で採れた石に「までいライフ」と刻み、渋谷区神南1丁目の「楽天カフェ」前の歩道の花壇に設置した。飯舘村の名前は書かれていない。午前11時から開かれた除幕式では、今村大臣や菅野村長、小松原理事長が福島県立相馬農業高校(福島県南相馬市)の生徒たちが栽培したシクラメンも記念植樹された。飯舘村には同校の分校があるが、現在は県立福島明成高校敷地内の仮設校舎で授業を続けている。
 15分ほどで終了した除幕式。司会の女性は原発事故を「原子力災害」と言い換え、「来年3月の避難指示解除は新しい村づくりのスタート」と強調した。全国紙や通信社の記者が詰めかけ、笑顔で取材した。菅野村長は「皆さん、飯舘村を取材していた記者さん達ですよ」とはしゃいでみせた。メディアも含めて、国も行政も原発事故など無かった事にしたい。住民を戻して〝復興〟に邁進したいという意思が露骨に出たセレモニーだった。
 石碑に刻まれた「までい」は、心を込めて、ていねいにという意味だ。しかし、除幕式に出席した面々は本当に住民と「ていねいに」向き合っているだろうか。式典後のぶら下がり取材で、記者に「避難指示解除はゴールでなくスタート」と語った菅野村長。避難指示解除から1年後の2018年4月には、村内で認定こども園から中学校までが一体となった学校も再開される。見逃してしまいそうなほど小さな石碑は、道行く若者たちに飯舘村の本当の姿を伝えてくれるだろうか。大いに疑問が残る。
 今村大臣は、小松原理事長に持参した菓子折りを手渡して車に乗り込んだ。菅野村長が手にした国からの〝手土産〟は何だろうか。避難指示解除を控えた最後の正月が、間もなくやってくる。



(了)
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プロフィール

鈴木博喜

Author:鈴木博喜
(メールは hirokix39@gmail.com まで)

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