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【飯舘村】形ばかりの「住民説明会」で来年3月に避難指示解除強行~味わえぬ山の幸、具体策無い生活支援

飯舘村の避難指示を2017年3月末で解除する旨の住民説明会が12日、福島市内で開かれた。そもそも強制避難に反対だった菅野典雄村長と村議会からの要望に応えるという形で避難指示解除の道筋が決まり、来月からは長期宿泊が始まる。なぜ年20mSvが解除の基準なのか合理的な説明は無く、帰村後の金銭的な生活支援策も決まっていない。とにかく帰還ありき。説明会は「ガス抜き」、「アリバイづくりとの声が村民からあがる。大量の除染土壌が山積みの中で暮らす事になる村民たちは、山の幸さえ味わえない。東京五輪に向けた形ばかりの村民帰還が、形ばかりの説明会で進められていく。


【「年1mSvには数十年かかる」】
 もはや「意見交換の場」というより、単なる「報告会」だった。
 これまでの「住民懇談会」などで配られたものとほぼ同じ内容の資料が配られ、内閣府の松井拓郎支援調整官(原子力被災者生活支援チーム)が早口で「説明」する。「村に戻りたいと考える人のための避難指示解除だ。帰還は強制ではない」、「除染によって帰還困難区域以外の積算線量が年20mSvを下回り、生命・身体への危機は無くなった」、「避難指示が解除されても国の支援は終わらない」…。村民たちには聞き飽きた言葉が躍っていた。そして「総合的に判断した結果」、来年2017年3月末で避難指示を解除する。しかもそれは、村長や村議会の要望だ─。もはや結論は覆らない。これでは、会場が満席にならなかったのも無理はない。
 そもそも、なぜ年20mSvが避難指示解除の基準となっているのか。小宮行政区の伊藤延由さんは、「質疑・意見交換」で語気を荒げた。「なぜ福島だけなんだ。ダブルスタンダードじゃないか」。会場から拍手が起こる。この国では、一般公衆の追加被曝は年1mSvとされている。「あんたたちが住んでいる東京でも、年20mSvで安全ということなのか」。伊藤さんの怒りはもっともだ。会場に到着した時からあくびを繰り返していた後藤収副本部長(原子力災害現地対策本部)は「年20mSvで避難指示を出した以上、それを下回れば避難の必要が無いというのは当然の論理的帰結だ」と早口で話し、「政府は年20mSvで満足している訳では無い。長期的には年1mSvを目指す」と答えた。一方で、こうも付け加えた。
 「ただし、年1mSvまで線量が下がるには10年、20年、いやもっとかかるかもしれない」
 帰還ありき。そのために除染が続く。住宅や学校など「身近な場所に保管されている除染土壌等」だけで180万立方メートルに達する(2015年末時点)。最終的には中間貯蔵施設に運び込まれるが、東京五輪が開催される2020年までに全て運び込める見通しは立っていない。村民らは、生活空間にフレコンバッグが山積みされた状態で帰還させられることになる。松井調整官は「フレコンバッグの安全性は確認させていただいている。除染土壌があるから危なくて村に帰れないということではない」と強調したが、破れたフレコンバッグから雑草が生えているような現状をご存じないのだろうか。
 伊藤さんは、環境省に「除染土壌を公共工事に再利用するとの報道があるが、これは誤報と考えて良いか」とも尋ねた。これに対し、加藤聖課長(福島環境再生事務所・除染対策第一課)は「誤報ではございません」と答えた。帰還・除染・再利用のトライアングルが出来上がっているのだ。



(上)福島市内で開かれた住民説明会。国側は「有意義な会だった」と振り返ったが、飯舘村民の怒りや不安は彼らの胸には響かない=福島県青少年会館
(下)「年20mSv」で解除される避難指示。しかし、一般公衆の追加被曝限度は「年1mSv」だ

【戻らぬ「自給自足」の生活】
 「今まで村のもので生活してきた。でも、もう出来ない。結局、死ねと言うのか。支援する気はあるのか」
 強い口調で怒りを口にした男性がいた。原発事故による汚染が生活様式を一変させた。これからの村での生活には金が要る。しかし、現時点で決まっているのは「避難指示解除から半年間は、東北電力が電気料金を免除する」(菅野村長)ということだけ。月10万円の精神的賠償も避難指示解除から1年後には終了する。
 東北本線・松川駅からほど近い仮設住宅で暮らす志賀福明(よしあき)さん(77)=蕨平行政区=は、林業を営みながら稲作、畜産と手広く手掛けていた。畑でほうれん草を作り、裏山にはウド。米(秋田こまち)の生産高は年140俵に達した。時には近所との物々交換もある。貨幣経済とは一線を画した暮らし。まさに自給自足の生活が成り立っていたのだ。
 「これからは金を払って買わなきゃいけない」
 志賀さんが手に出来る年金は月に5万円ほど。住民説明会で、男性が「首をつって死ぬだけだ」と言い放った言葉は決して大げさな脅し文句ではなかった。妻の津江子さん(72)は夫と一緒に村を訪れるたびに、車の助手席で「これからはフキを刈れるようになるね」とつぶやいた。避難指示が解除されるということは、もはや汚染が低くなったからだろう。それなら昔のように山の幸を堪能できる─。だが村内の山菜類からは、依然として1万Bq/kgを超える放射性セシウムが検出されているのが実情だ。残念ながら津江子さんの願いは叶えられそうにない。「この前買ってきたフキは、細いのに200円もした」。米も新潟県から取り寄せる。原発事故が壊した自給自足の生活は戻らない。
 住民説明会で、後藤副本部長は「ごもっともなお話」としながらも「賠償は避難指示解除後1年までで、その先は考えていない。生活支援が100%満足する形にならないのは御理解いただきたい」と淡々と話した。菅野村長は「避難指示解除後の具体的な生活支援について、国にもっと早く出すように言っている」との姿勢。国は「宅配サービスなどで生活支援をする。山菜類は非破壊検査の機器を導入するので、測りながらリスクを確認していただきたい」と答えるばかりで、具体的な金銭的支援は何も無い。
 誰だって住み慣れた土地に帰りたい。五畳半と四畳半の二部屋しかない仮設住宅に長く住み続けたいなんて思わない。変えるも地獄。帰らないも地獄。住民が本当に心配している事を国は理解していない。帰還一辺倒。村民の事など誰も守らない。



(上)福島市内の仮設住宅に暮らす志賀さん夫妻。自給自足の生活を原発事故に破壊されてしまった
(下)住民説明会では、国側が回答に窮する場面も。決まっているのは「避難指示解除」だけ。具体的な生活支援はこれからだ

【着々と進む「アリバイづくり」】
 「有意義な会議だった」
 後藤副本部長はこう言って説明会を締めくくったが、村民がどれだけ意見をぶつけても結論が変わらない以上、有意義なのはアリバイづくりを着々と進めている国だけだ。「まだ決定ではない。村ともよく相談する」と後藤副本部長は話すが、それは建前に過ぎない。
 村民から「心がこもっていない官僚答弁だ」との声があがり、国側の担当者が相次いで「私の不徳の致すところ。私なりに心を砕いて御理解いただけるよう努力していく」、「説明が足りない点は、私の不徳の致すところ」と頭を下げている状態で、どうやって納得して住民が村に戻れようか。住民説明会で配られた資料を全戸配布しない姿勢を指摘されると「速やかに全戸配布したい」と答える始末。本当に住民と「意見交換」するつもりなど無い事は明白だ。
 松井支援調整官がこう語る。
 「避難指示解除は多数決で決めるものでは無い。条件を満たせば速やかに解除するべきだと考える」
 だから、そもそも強制避難に反対だった菅野村長も「不満はあるかもしれないが、一つ一つていねいにやっていく」と村民の帰還に邁進する。
 「汚染が低くなったから帰すんだろ?だったらなぜ、山菜を食っちゃいけないんだよ」
 志賀さんの疑問に国はどう答えるのだろうか。いや答えられまい。
 形ばかりの住民説明会はこうして終わった。
 東京五輪での復興アピールに、飯舘村も利用されるのだ。



(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
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