【自主避難者から住まいを奪うな】刻々と迫る来春の打ち切り、なぜ広がらぬ運動のすそ野。避難者とともに考える。「当事者はもっと声をあげよ」は暴論か?
- 2016/12/10
- 07:18
原発事故による〝自主避難者〟向け住宅の無償提供終了は2017年3月末。しかし、運動の前面に立つのは毎回、決まった人になりがち。打ち切り強行が目前に迫っても全国的な大運動に発展しないのはなぜか。避難者たちに率直な意見を聴いた。そこからは、被曝リスクの拡大から逃れようと福島県外に避難した人々の現実的な生活や葛藤が見えてくる。避難者切り捨てまで3カ月余。ここで改めて問う。「当事者はもっと声をあげよ」は暴論か? 避難者に「寄り添う」とはどういう事かも含めて考えたい。
【「参加したいが仕事、子育て…」】
11月下旬に行われた福島県庁での抗議行動。知事室につながる廊下には連日、不測の事態に備えようと早朝から多くの県庁職員が集まっていた。廊下の一番端で、神奈川県内に避難中の女性が県生活拠点課の幹部と対峙した。数人の支援者も同行したものの、この日の当事者は彼女1人。まるで犯罪者を監視するかのような職員らの視線を浴びながら、他の避難者から託された〝直訴状〟を代読した。
内堀雅雄知事に直接、直訴をする事を目指したが叶わなかった。初日は比較的多くの当事者が集まったものの、同じ規模を5日間、維持するのは現実的に難しい。福島県庁に足を運びたくても来られない避難者の想いを一身に背負い、彼女は不安と孤独感の中で自らを鼓舞した。「避難者の生の声を届けたい」。
中通りから関西地方に避難中の母親・Aさんは言う。「避難者が駆けつけられない、というのはよく分かります。子どもがいます。仕事があります」。住まいを追われるのは重大な危機。しかし、目の前の生活も維持しなければならない。別の母親・Bさんも同様の指摘をする。「家族避難にしろ母子避難にしろ、生活の基盤を崩して避難しているので経済的な余裕がありません。避難先で働いていれば、平日の交渉に参加する事がどうしても難しくなってしまいます。それに、遠方の避難者ほど、東京や福島への交通費は馬鹿になりません」。
わが子を連れて郡山市から避難した母親・Cさんは、こんな言葉で避難者の本音を吐露した。
「避難先での地元に根付いてしっかりした生活をしている人であれば、平日はフルタイムで働いているでしょう。そして土日はお子さんの学校行事や部活の送迎など、家族との時間を大切にしているでしょう。資金的にも余裕はありません。そもそも何のために避難したのか。難を逃れるためです。逃れて、今まで通りの生活、子ども第一の生活を平穏に送るためです。なのに、自分の子どもの食事も満足に作れないなんて本末転倒ですよね」
避難者は原発事故の被害者であってプロの活動家では無い。「高校生がいるお母さんだったら、明日のお弁当のおかずは何にしようかな、という事で頭が一杯なんですよ」(Cさん)。そもそも、被害者が日常を削ってまで行動して訴えないと権利が保護されない社会が間違っている。

住宅の無償提供打ち切りが3カ月余に迫っても、実際に抗議の拳を振り上げるのは毎回、同じ人になりがち。しかし、プロ活動家でも無い避難者に派手な抗議行動を求める事に無理があるのかもしれない。声をあげないと権利が守られない社会もおかしい=福島駅前
【正義で弱者追い詰めないで】
避難者が集会やデモに積極的に参加しない背景は経済的な理由ばかりでは無い、との指摘もある。
郡山市から中部地方に避難した父親・Dさんは言う。
「いくら頑張っても実らない活動に疲弊してしまい、5年前のようにアンテナを高く張って活動しようとする人が少なくなっています。『いくらやっても無理だろう』というあきらめムードに流されている人もいます。左翼的な色を濃く出すような運動にアレルギーを持っている避難者も少なくない」
東北の別の県に避難した父親・Eさんも「避難者は5年以上の避難生活で精神的に参っています。その上、国や福島県の対応の無さにある意味〝あきらめ〟を感じているのではないでしょうか。私自身も歯がゆい思いを感じています」と語る。「人任せと、どこかであきらめがあるのかなと思います。誰かがしてくれるから、あの人がしてるからと考える『人任せ』。声を出している人達を見て『あそこまでは言えない』などと引いている部分もあるのかもしれません」と話す母親もいる。
では、当事者でありながら運動に参加しない避難者は責められても仕方ないのか。先の母親・Cさんはきっぱりと否定する。
「今、この活動をしなければという意義なり使命感なりを感じて、それに納得していて、家庭や子どもを犠牲にしているという罪悪感がなければ、もしくは折り合いがついていれば問題無い話。避難者それぞれなんです。活動することが良くて、参加しないのが悪いという事ではないと思います。やれる人がやるしかないんです」
原発事故直後から「避難の権利」を守るために奔走してきたDさん。「私自身も、また支援者の方々も気をつけなくてはならないことがあります」と付け加える事を忘れていなかった。
「避難者に向かって『当事者なのだから、もっと頑張ってよ』と言うことは「セカンドレイプ」にも似ているということです。私自身、たびたび言われるのです。『避難者の顔が見えない』、『もっと頑張ってよ』…。このような言葉には正直、抵抗を覚えます。皆、自分なりに一生懸命生きているはずです」
そして、こう締めくくった。
「社会正義を追い求める自分たちの理屈で、社会的弱者を更に追い詰めるような事をしてはいけません」

11月28日から5日間にわたって行われた「直訴行動」では、当事者が1人で県庁職員と対峙した日もあった。大勢の避難者が集結する方が訴える力も増すが、避難先から平日の日中に交通費をかけて駆け付けるのは難しいのも現実だ=福島県庁
【「避難者は孤独。声あげられぬ」】
今月4日には、避難者や支援者が福島県福島市内でデモ行進。住宅の無償提供延長を訴えた。しかし、政府の避難指示が出されなかった中通りからは厳しい声も聞こえてくる。
西白河郡に住む父親は「明らかに線量が高く土壌も汚染されている地域に住んでいた方以外は、打ち切りで仕方ない」と語る。「国や県の責任は大きいですが、全てを奪われお金も無くなってしまった方も工夫をして自分達の力で住めるように努力しています」。
また、県北在住の父親も「住宅無償提供には、あんまり賛同出来ないな」と本音を語る。「俺だって避難したかった。でも、子どもの進学や親の介護などで出来なかった。自宅は0.5μSv/hくらいあって、そこで生活して、でも、子どものために出来る限りの事はしようと努力しているんだ。県外に避難した人たちの事が正直、うらやましい。否定はしないけど共感は難しい。現状では自分のお金で避難しなさいと思ってしまう」。こうも話した。「短期間でも、あの時、国が強制的に県外に移動させてくれていたら…」。
国や東電がおかしな線引きをせず、福島県内外すべての住民に避難の権利を認めていたら、そもそも〝自主避難者〟などという呼称も生まれなかった。「避難したいけど出来ない」という葛藤も無かった。必死に逃げた人たちが「勝手に怖がって勝手に逃げた」などと言われる事も無かった。
先の母親・Aさんは指摘する。
「当事者が包囲され、分断され、疲弊しているということでしょう。共感は行動の原動力となるけれど、5年9カ月という年月の中で翻弄され、人々の間で共有されにくくなっています。複雑な経緯の中でストーリーを共有し続けることも難しい。あちらこちらに故意に仕掛けられた反感を引き起こす罠もあります。結局、自分が心からやるべきと思うことを失敗してもやる、という事を、一人一人がやっていく意外に道は無いのではないかと思います」
4日のデモ行進に先立って開かれた集会で、瀬戸大作さん(「避難の協同センター」世話人)は「避難者は孤独で声をあげられなかった。避難者のつらさを僕らは気付けなかった」と〝反省〟を口にした。
年の瀬を迎えても、福島県の内堀知事は考えを変えていない。3カ月余後には打ち切りが強行される。その時、避難者を1人も路頭に迷わせないために何が必要か。ようやく当事者が悲鳴をあげた時に何が出来るか。私たちは改めて考える必要がある。
(了)
【「参加したいが仕事、子育て…」】
11月下旬に行われた福島県庁での抗議行動。知事室につながる廊下には連日、不測の事態に備えようと早朝から多くの県庁職員が集まっていた。廊下の一番端で、神奈川県内に避難中の女性が県生活拠点課の幹部と対峙した。数人の支援者も同行したものの、この日の当事者は彼女1人。まるで犯罪者を監視するかのような職員らの視線を浴びながら、他の避難者から託された〝直訴状〟を代読した。
内堀雅雄知事に直接、直訴をする事を目指したが叶わなかった。初日は比較的多くの当事者が集まったものの、同じ規模を5日間、維持するのは現実的に難しい。福島県庁に足を運びたくても来られない避難者の想いを一身に背負い、彼女は不安と孤独感の中で自らを鼓舞した。「避難者の生の声を届けたい」。
中通りから関西地方に避難中の母親・Aさんは言う。「避難者が駆けつけられない、というのはよく分かります。子どもがいます。仕事があります」。住まいを追われるのは重大な危機。しかし、目の前の生活も維持しなければならない。別の母親・Bさんも同様の指摘をする。「家族避難にしろ母子避難にしろ、生活の基盤を崩して避難しているので経済的な余裕がありません。避難先で働いていれば、平日の交渉に参加する事がどうしても難しくなってしまいます。それに、遠方の避難者ほど、東京や福島への交通費は馬鹿になりません」。
わが子を連れて郡山市から避難した母親・Cさんは、こんな言葉で避難者の本音を吐露した。
「避難先での地元に根付いてしっかりした生活をしている人であれば、平日はフルタイムで働いているでしょう。そして土日はお子さんの学校行事や部活の送迎など、家族との時間を大切にしているでしょう。資金的にも余裕はありません。そもそも何のために避難したのか。難を逃れるためです。逃れて、今まで通りの生活、子ども第一の生活を平穏に送るためです。なのに、自分の子どもの食事も満足に作れないなんて本末転倒ですよね」
避難者は原発事故の被害者であってプロの活動家では無い。「高校生がいるお母さんだったら、明日のお弁当のおかずは何にしようかな、という事で頭が一杯なんですよ」(Cさん)。そもそも、被害者が日常を削ってまで行動して訴えないと権利が保護されない社会が間違っている。

住宅の無償提供打ち切りが3カ月余に迫っても、実際に抗議の拳を振り上げるのは毎回、同じ人になりがち。しかし、プロ活動家でも無い避難者に派手な抗議行動を求める事に無理があるのかもしれない。声をあげないと権利が守られない社会もおかしい=福島駅前
【正義で弱者追い詰めないで】
避難者が集会やデモに積極的に参加しない背景は経済的な理由ばかりでは無い、との指摘もある。
郡山市から中部地方に避難した父親・Dさんは言う。
「いくら頑張っても実らない活動に疲弊してしまい、5年前のようにアンテナを高く張って活動しようとする人が少なくなっています。『いくらやっても無理だろう』というあきらめムードに流されている人もいます。左翼的な色を濃く出すような運動にアレルギーを持っている避難者も少なくない」
東北の別の県に避難した父親・Eさんも「避難者は5年以上の避難生活で精神的に参っています。その上、国や福島県の対応の無さにある意味〝あきらめ〟を感じているのではないでしょうか。私自身も歯がゆい思いを感じています」と語る。「人任せと、どこかであきらめがあるのかなと思います。誰かがしてくれるから、あの人がしてるからと考える『人任せ』。声を出している人達を見て『あそこまでは言えない』などと引いている部分もあるのかもしれません」と話す母親もいる。
では、当事者でありながら運動に参加しない避難者は責められても仕方ないのか。先の母親・Cさんはきっぱりと否定する。
「今、この活動をしなければという意義なり使命感なりを感じて、それに納得していて、家庭や子どもを犠牲にしているという罪悪感がなければ、もしくは折り合いがついていれば問題無い話。避難者それぞれなんです。活動することが良くて、参加しないのが悪いという事ではないと思います。やれる人がやるしかないんです」
原発事故直後から「避難の権利」を守るために奔走してきたDさん。「私自身も、また支援者の方々も気をつけなくてはならないことがあります」と付け加える事を忘れていなかった。
「避難者に向かって『当事者なのだから、もっと頑張ってよ』と言うことは「セカンドレイプ」にも似ているということです。私自身、たびたび言われるのです。『避難者の顔が見えない』、『もっと頑張ってよ』…。このような言葉には正直、抵抗を覚えます。皆、自分なりに一生懸命生きているはずです」
そして、こう締めくくった。
「社会正義を追い求める自分たちの理屈で、社会的弱者を更に追い詰めるような事をしてはいけません」

11月28日から5日間にわたって行われた「直訴行動」では、当事者が1人で県庁職員と対峙した日もあった。大勢の避難者が集結する方が訴える力も増すが、避難先から平日の日中に交通費をかけて駆け付けるのは難しいのも現実だ=福島県庁
【「避難者は孤独。声あげられぬ」】
今月4日には、避難者や支援者が福島県福島市内でデモ行進。住宅の無償提供延長を訴えた。しかし、政府の避難指示が出されなかった中通りからは厳しい声も聞こえてくる。
西白河郡に住む父親は「明らかに線量が高く土壌も汚染されている地域に住んでいた方以外は、打ち切りで仕方ない」と語る。「国や県の責任は大きいですが、全てを奪われお金も無くなってしまった方も工夫をして自分達の力で住めるように努力しています」。
また、県北在住の父親も「住宅無償提供には、あんまり賛同出来ないな」と本音を語る。「俺だって避難したかった。でも、子どもの進学や親の介護などで出来なかった。自宅は0.5μSv/hくらいあって、そこで生活して、でも、子どものために出来る限りの事はしようと努力しているんだ。県外に避難した人たちの事が正直、うらやましい。否定はしないけど共感は難しい。現状では自分のお金で避難しなさいと思ってしまう」。こうも話した。「短期間でも、あの時、国が強制的に県外に移動させてくれていたら…」。
国や東電がおかしな線引きをせず、福島県内外すべての住民に避難の権利を認めていたら、そもそも〝自主避難者〟などという呼称も生まれなかった。「避難したいけど出来ない」という葛藤も無かった。必死に逃げた人たちが「勝手に怖がって勝手に逃げた」などと言われる事も無かった。
先の母親・Aさんは指摘する。
「当事者が包囲され、分断され、疲弊しているということでしょう。共感は行動の原動力となるけれど、5年9カ月という年月の中で翻弄され、人々の間で共有されにくくなっています。複雑な経緯の中でストーリーを共有し続けることも難しい。あちらこちらに故意に仕掛けられた反感を引き起こす罠もあります。結局、自分が心からやるべきと思うことを失敗してもやる、という事を、一人一人がやっていく意外に道は無いのではないかと思います」
4日のデモ行進に先立って開かれた集会で、瀬戸大作さん(「避難の協同センター」世話人)は「避難者は孤独で声をあげられなかった。避難者のつらさを僕らは気付けなかった」と〝反省〟を口にした。
年の瀬を迎えても、福島県の内堀知事は考えを変えていない。3カ月余後には打ち切りが強行される。その時、避難者を1人も路頭に迷わせないために何が必要か。ようやく当事者が悲鳴をあげた時に何が出来るか。私たちは改めて考える必要がある。
(了)
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